OSAMUGOODS NEWS

2016年8月14日(土)に弥生美術館学芸員内田静枝さんによる『学芸員によるギャラリートーク』が開催されました。『オサムグッズの原田治展』の見処を少女文化に関する目線から解説。そのイベントの模様を前編・後編でレポートします。

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その『an an』にイラストレーションを描いていたのが原田治さんです。アメリカ遊学から帰ってすぐに、イラストレーターとしてデビューしました。マガジンハウス(当時は平凡社)で、『an an』創刊の準備をしていて、アートディレクターの堀内誠一さんに原田治さんのイラストレーションが目に止まり、そのまま起用されたという流れだったそうです。

展覧会にも展示していますが、絵入り地図をたくさん描いて人気を博しました。イラストマップですね。『an an』という雑誌が時代の最先端をいっていましたし、そこにイラストレーションを描くイラストレーターという職業も最先端の職業でした。原田治さんご自身が意識していたのか、意識していないかは別としても、仕事を受けていくうちにこの職業で食べていけるようになってしまった、ということだったようです。

治さんが雑誌『an an』でイラストレーターとして大活躍していた頃の挿絵。タイトルまわりやマップなど、可愛くてポップなセンスが良く伝わって来ますね。


展覧会のためのトークイベントを撮影し、会場で観客の皆様もご覧いただけるようにモニターを設置しております【6】。出演は原田治さんと、今回コレクションを公開してくださいましたトムズボックスの土井章史さん、元コージー本舗の石井志津男さんです。原田治さんが石井志津男さんと出会ったことでオサムグッズが誕生しました。それについてお話しいたします。

会場にモニターを設置し、2016年7月2日に行われたトークイベントの模様を放映していました。出演は右画像の、左から元コージー本舗の石井志津男さん、原田治さん、トムズボックスの土井章史さん。


(ギャラリートーク参加者に向けて)コージー本舗という会社についてご存知の方いらっしゃいますか?
オサムグッズをプロデュースした会社ですが、本業は「つけまつげ」の会社です。現在は化粧の一つとして、つけまつげを付ける人が多く、マツモトキヨシやスーパーマーケットなどへ行きますと、コージー本舗のブランドで、たくさんのお化粧品があります。日本で初めてつけまつげを作り、化粧品も作って(カタログを見せながら)、女性に親しまれている会社ですね。この会社と原田治さんがつながりました。

この度のトークイベントでご披露くださいましたが、先ほど申しました通り、コージー本舗というのはつけまつげのメーカーさんで、本来であったらグッズとか作る会社ではないのですが、そこにひとりのユニークな社員さんがいました。石井志津男さんです。今はレゲエの音楽レーベルを主宰されている方です。若い石井さんが営業や広告の仕事をコージー本舗で担当していましが、仕事に煮詰まってしまう時があって、何か楽しいこと・面白いことがやりたいなぁ…と思っていたそうです。そして30歳の頃、娘さんが生まれ、1歳、2歳と育つ間に、何か娘の為に何か良い玩具なり雑貨を作ってみたいなぁ、と考えたそうです。

1974年にサンリオのキティちゃんが誕生しました。石井さんのセンスでは「キティちゃんは…」っていう感じだったそうです。やっぱり原田治さんと同年代の方ですから、幼い頃からアメリカ文化に憧れ、アメリカンコミックなどが大好きであったそうです。自分が娘に何かグッズを与えるとしたら、キティちゃんではなく、何か別のものが欲しいと思ったそうです。

石井さんはコージー本舗の広告担当ですので、『an an』の雑誌編集部に出入りをしていました。コージー本舗はちょっとユニークな会社さんなのでしょうね。オサムグッズが出た当時、1976年の『an an』に、2ページ枠をコージー本舗で買い取り、『コージージャーナル』なるコーナーを作っていました。つまり、広告枠を買って独自に雑誌記事を作った訳です。面白いことやりたいなっていう社員の背中を押すようなそんな会社だったんじゃないかなと思います。

左側、雑誌『an an』に初めて掲載されたオサムグッズの広告。右側、雑誌『an an』で連載していた『コージージャーナル』。記事の左上部分において、『OSAMU'S MOTHER GOOSE』を紹介。


そして石井さんが原田治さんの絵を素敵だなと思い、その絵でグッズを作ったら楽しいだろうなと考え、原田治さんにアタックしたんだそうです。しかし本来はつけまつげ屋さんですので、いきなり原田先生のイラストでグッズを作ると言い出しても、社内会議には全然通らなかったそうです。諦めない石井さんは上司のその上を二段階飛び、三段階飛びして部長や社長に直談判したそうです。めちゃくちゃなことをやっている自覚はあったそうですが、若い原田治と石井志津男の熱い想いが実を結びまして、創業社長がやったらいいんじゃないか、幾らでやれるんだ?ってボソッと言ってくれたそうなのです。それによりオサムグッズが誕生しました。

何度も申しますが、コージー本舗はつけまつげのメーカーさんですから、グッズを作ると言っても一からになる訳です。マグカップ1つ作るとしてもどういう型を作るのか、どうやって印刷していくのか、いろいろ協議が必要ですし、取引先がつけまつげとは全く違います。販路も開拓しなくてはいけないということで、当時は相当にご苦労なさったそうです。営業の人が手持ちでグッズを抱えて営業して回った、というようなことも聞いています。

しかし、時代が味方しました。1980年代になりますと、様々なキャラクターグッズが人気沸騰し、地方の文房具屋さんがキャラクターグッズを扱うようになり、ファンシーショップに生まれ変わり始めます。そういった時代の勢いもあり、オサムグッズは人気を博していきました。やがて時代もバブル期に入り、原宿のキディランドをはじめとして、全国に次々とファンシーショップができ、オサムグッズの人気は加速していきます。

展覧会にも展示してあるショッピングバック【7】は、オサムグッズを購入した際に商品を入れてもらえる袋ですが、エッセイなども入っていまして、オサムグッズを手にする喜びっていうのが感じられる、そういう風に思います。やがてオサムグッズファンクラブが設立し、会報を出したり【8】会員向けのグッズを提供したり【9】ということが始まりました。

 

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