
信濃_そういう意味ではイラストレーターは原田治って決めてたって感じ…なんですよね?
新谷_そうね、原田治一本でしたね。それを見込んで大物にしようって魂胆があって。(担当ページの)1号目か2号目が、モノクロだったんですよ。カラーではなくて。それで彼が描いてきた…展示されてますけど“シネマ”って、名刺サイズ大の…絵があるんですよ。そういうカットを描いてもらってるわけですね。
信濃_はい。
新谷_で、その絵を見ると本当に白黒だけなんですね。黒か白か、っていう状態なのよ。僕が「原田くん、これはグラビア印刷って言ってね…ベタと白だけでやったって面白くない。中間トーンを3色くらい使いなさい。」と言ったんだよね。
信濃_ほぉ…
新谷_「濃いグレー、薄いグレー、それを使って描いた方がいいよ。そうやってご覧なさい」って言って、ちょっと変えたわけだよ。そうこうしているうちに、編集の赤木洋一さんって言うんですけど、後で社長になりましたけど…その人が、『an・an』のショッピングのページが面白いって、将来のあるページだって言うんで、「カラーにします!」って言ってたわけ。
信濃_はい。
新谷_カラーになったらしめたもんだよね!そこから…僕が意見なんかいっさい言わなくても、彼はカラーでいろんなこと始めたわけですね。もうほっときゃいいって感じ。それで、今度は彼をいじめている…いじめているんじゃないな(笑)
信濃_ふふふ(笑)
新谷_僕の頭の中に「こういうページを作りたい」というのがあって。非常に不定形のページなんですよ、僕の頭の中にあるのは。ただ、イラストがゴネゴネゴネゴネとあるような…琳派の絵とは言わないけど…日本の昔の絵のような…雲の形のような…あるでしょ?
信濃_あー!はいはい。
新谷_ああいう感じが、僕のイメージにあるわけ。そのショッピングのページがね。真四角のイラストレーションをポコッとレイアウトするのではなく…コチョコチョコチョコチョと、イラストがあっちいったりこっちいったりするイメージ。それで、レイアウトしながら、原田君がイラストを描くスペースを出す。それで原田くんに、こんなにして描いてって。
信濃_へーー!
新谷_「こんな形で描くんですか!?なんですか、これ?」みたいな形なのよ。しょうがないから、彼がそれに合わせて描くことになったから、全部原寸。
信濃_あぁ、なるほど!
会場_ほぉ~。
新谷_原寸主義になったのね、あいつ。原寸なら絶対、間違いないでしょ?
信濃_はい。
新谷_拡大縮小やるとヘンな形になっちゃう。拡大縮小は機械があればできるけど、なかったら狭めるのは難しいんですよ。だから、原田君、レイアウト用紙のイラストスペースを写してですね、わら半紙やらで試し描きした後に、描いてました(笑)「なんせ、あれですもんね、新谷さん。マメですよ、描くことないのになぁ~」とか言って(笑)
信濃_あはは(笑)僕も授業で教わったのは、イラストレーターは自由を与えられすぎると逆に発想が狭まってくるんで。スペースにしても例えば真四角よりも、妙に縦長だったり横長だったり…そういうところに合わせて、何かを描こうかという発想があった方が、絵は面白くなるというお話がありました。
新谷_闘争心が沸くんじゃない?
信濃_あはは(笑)そうですね。それ、今でも生きています。
新谷_それで原田さんも…堀内さんがバックにいるって気がどっかにあるんだよ。俺じゃないよ(笑)
信濃_ははは(笑)
会場_あはは(笑)
新谷_俺じゃない(笑)堀内さんがバックで見ててくれるって(笑)そりゃ、めちゃくちゃ緊張があるわけです。あの先生が見ているのだから迂闊なことはできない、という。堀内さんは黙ってますから。一切、一言も言いません、いいねとも何とも言う人じゃないですから。何も言いませんでしたけど…いつもそうやって、面白がってそういうことしているのを、「うん。うん。」と見ているという。
だけど、いるといないとで全然違うわけですよ?重みが。僕にしたところで、堀内さんが海外取材で二週間いませんから、って言われたら「あ~♪、は~♪」って感じになるよ(笑)
信濃_あはは(笑)
会場_あはは(笑)

新谷_「明日から楽だな~、重しがないから楽だ~」って(笑)そういう感じですよ、本当。来なくても、ご自宅にいても、東京にいるというだけで、ひしひしとした圧迫感がある!先生ってそういうもんだよ!
信濃_あそうですね。
新谷_物凄い圧迫感があるんです。しかも天才でしょ?あ、まぁ努力した人だから天才って言うのを軽々しく言っちゃいけないけど…でもとにかく、夢のようなページつくっている人だから。
信濃_僕も…安西先生と月に一回、お酒を飲む会をお亡くなりになる直前までさせていただいていたんですけれど…。
新谷_あぁ、いいですね!
信濃_お店の予約なんかは、一ヶ月前くらいからして先生にご案内して。それで、一週間くらい前からソワソワして。「何話さなきゃいけない」とか。でも結果、上手く喋れなくて。「君たちね、僕がどれだけ忙しいのか分かっているの?」っていう感じで(笑)
新谷_あはは(笑)
会場_あはは(笑)
信濃_「何にも面白い話もしないし、結局僕がひとりで喋っているだけじゃないか」って、よく怒られてましたね(笑)
新谷_へへへへ(笑)
信濃_でも、ああいう会で、鍛えていただいた感じはありますね。無駄なことでもいいからペラペラ喋ったほうがいいんだな、とか。あ、今の話じゃないですよ(笑)
会場_あはは(笑)
新谷_堀内さんもそういう人だからさ、こっちが聞かなきゃ黙っている。怖いんだよ、まぁ。「聞かなきゃいけない!」と思って、焦りまくってさ。大変でしたよ…酔えないです!
信濃_原田先生もパレットクラブの教室の横にある、先生の事務所にたまにいらしている時は、我々スタッフはピン、と背筋が冷えて、いつ出てくるか分からないという。それで、気が向くとフラっと出てきて「信濃くん、こんなの見た?」って貴重な資料を沢山見せていただいたり。
新谷_あぁ、そうですか。
信濃_それこそ、変わり兜の写真集も見せていただいたり。僕がスタッフを辞めた後でも、「熊本で今ピカソの版画の展覧会をやっていて、ふと君のことを思い出したので」と、お手紙と図録を送ってくださったり。
新谷_あぁ、それは凄いね。
信濃_それで、まだ覚えていてくださったんだ。と。
新谷_そりゃ覚えているよ(笑)なかなかちゃんとした人なんだね。
信濃_行き詰まっていたりしたときにそんなものがフッ、と届くので。「こういうやり方もアリだな」って、自分でまた新しい描きかたを試してみたり…慌ててゴムハン買いに行って版画やってみたりとか。結構単純なんで、そんな風にすぐに影響を受けて。
新谷_(パレットクラブの授業で行う、作品の)批評を…たまに壁のところ立って聞いていたりすることあったんだけど…。原田くんがやっている頃ね。本当真面目なのに驚いたね。
信濃_はい。あ、そうですね!
新谷_真面目にやっているね!と思って。当たり前だけどね、お金いただいてやっているわけですから(笑)俺みたいに、ひとり漫才で終わります、ではなくてね。なんせ、イラストレーターですから。言うことが重いですよね。
信濃_そうですね。むちゃくちゃ怖かったです。教え子としては。
新谷_絵が描けて言ってるからね。俺なんか描けないから「お前描いてみろよ」って言われたら「いえ、描けません」みたいな感じだから(笑)
信濃_例えば笑わせよう、みたいなサービス精神は全くない(笑)
新谷_案外ないのよね。水丸は笑わせようと思っていないみたいだけど笑っちゃう。
信濃_結構、ニコっと笑ってじーっと生徒を見てそれで…「きみたち、今イラストレーターになりたいっていうことはどういうことか、分かっている?」とか仰るんです(笑)「80年代とかならわかるけど、この2000年代に入ってイラストレーター、仕事がないの分かっているよね?」みたいな感じで。
会場_あはは(笑)
信濃_それで「出版御三家と言われる、文藝春秋、講談社、新潮社の売上よりも、貸し玉業で儲けているパチンコ屋さん一社のほうが売上が多いってこときみたちは知っているの?」みたいなね。そういうことを僕たちはちゃんと勉強して、自分の行くべき道を定めたんだと。本気か冗談か分からない口調で、「もし僕が今きみたちと同じような世代でイラストレーターを目指すとしたら、僕はパチンコ屋さんに使われる絵をちゃんと考えると思うよ」って。
新谷_彼らしいです。本気でそう思っていたと思うよ。
信濃_本気ですかね?
新谷_僕も随分と言われたもん。「新谷さんね、雑誌の仕事なくなりますよ」って。
信濃_え!?
新谷_いちばん盛んな時代に「新谷さん、雑誌なくなりますから」って。
信濃_雑誌のアートディレクターに!?
新谷_うん。「なくなりますから、雑誌は。どんどん減るし」ということを何十年も前に言われましたね。
信濃_今でも実際…
新谷_うん。真面目な顔して。だから真面目に言っているのよ、ちゃんと。でも俺は聞き流してるわけ。(笑)でもねぇ、お前に分かるわけないだろ、って思っているんだよ。馬鹿にして(笑)
会場_あはは(笑)
新谷_ところがその通りでね。そういうね、先見の明っていうかね、凄くありましたよ。
信濃_これが面白いって勧めていただいたのが、都市計画の未来予想みたいなものを買われていて。「今から5年後には東京駅はこういうふうになっちゃうんだよ」とかっていう話を、「え、嘘でしょ?」なんて思いながら原田先生がいない間にちょっと読ませてもらったりして。
新谷_うんうん。
信濃_じゃぁ実際、あの八重洲口の方は車が入れなくなるとか…本当になった!
会場_うんうん。
信濃_いろいろと、こう…今から振り返るとそれが15、16年前からそんなことを話されていて。
新谷_早かったです。そういうことについて、的確だったね。ほとんど当たっている。占いだけ当たっていない。占い好きでさ(笑)

信濃_占い…そうなんですか?
新谷_困るんだよそれがもう。その頃、僕はどこで働いていたかな?雑誌の『BRUTUS』かな。会社に電話が入るんだよ。「新谷さん?この近ごろ、どこか出かけます?」って言うから「いや、予定ないけどもしかしたら京都に行くかもしんねぇな」「あ。南にはあまり行かないほうがいいです」とか言うんだよ。「え?なんで?」って言ったら「いや、あの悪いケが出ています。おやめになったほうがいいと思います。さよなら」おい、ちょっと待て~!(笑)
会場_あはは(笑)
信濃_それだけなんですか?(笑)
新谷_それだけ!あの野郎、気分悪いこと言いやがってってさ~(笑)本当に、マジなんだよ。何篇も私そういう目にあっている。むしろ本気で心配しているんだよね。でも冗談じゃないんだよ。
信濃_言われると南はやめとこうって…
新谷_いや、思いませんよ。俺はそれでもいいかなって(笑)
信濃_じゃ、当たっていなかったという。
新谷_全然。平気なんだけどさ。でもねやっぱり気になるよね、誰だって。あんな真面目に言われたらさ。何見て言っているんだって。四柱推命とか色々とやっているわけですよ。
信濃_そうなんですか!へぇ~。
新谷_人に言うなっての!てめぇ自分でやれよっ!て思うんだけどね。僕はいろんなことを言われているんですよ、実は。未来ごとについて。
信濃_あはは(笑)
新谷_忘れるようにしています!
会場_あはは(笑)
新谷_あの声でね、淡々と言うんだよ。「イラストなんかやめたほうがいいですよ」ってそう言う調子で言うもんね。困ったもんですよね。
信濃_2回目の授業でそれをやっちゃうもんで。1回目の授業が原田先生だったんですけれど、2回目から生徒が “がくっ”と減るんですよ(笑)皆んな怖くなっちゃったのか…(笑)
新谷_僕もね、けっこう生徒が減るのよね。「そりゃ新谷さんの課題じゃ減るよ」って言われて。京都インターナショナルアカデミーのイラスト教室。パレットクラブの前身の時のことだね。例えばモーツァルトの魔笛を描こうってタイトル出しちゃうわけ。え?モーツァルト?魔笛?って誰も知らないわけよ。
信濃_でもそれを調べて行くことに意味がありますよね?
新谷_ま~ね~。だけどさ、クラシック音楽も聴いたことがない人がよ?いきなりモーツァルトの魔笛をイラスト化しようなんて言われてもね。ナニモンだかわかりませんよ(笑)それで4時間くらいかけて魔笛の解説をするわけですよ(笑)終いにはテープ全部取ってきてさ、これはなんとかっていう指揮者の魔笛、これはなんとかの魔笛。20本くらいそれをつくって、貸し出すわけよね、「宿題だ!」とか言って。だんだん客減っちゃって。
信濃_あはは(笑)
会場_あはは(笑)
新谷_それで、朝日新聞の記者が面白がって取材に来てくれたんだけど。なんせ完成した作品の点数が少ない。
信濃_あぁ。
新谷_それで諦めちゃって「記事になりませんでした」って(笑)それでも生徒の中に「新谷先生、私ウィーン行ってきたんですよ」って。「あ~、良かったね」って言ったらね「先生それでね、ウィーンの大学でも魔笛をテーマにやっていました!」ってね!(笑)
「ほら見ろ~!」(笑)「ウィーンならいいよね、そりゃ。ウィーンなら魔笛やっていいよ。でも京都の人にそれを言ってもね~」って原田くんが呆れて言っているわけ。「新谷さんのテーマ難しいよ。若い女の子が立っているところとか。そんなのにした方がいいですよ。」って言われていました、しょっちゅう。
信濃_あぁ。
新谷_でも俺は理想を高く学ぼう!みたいなね。そういう調子でしたから。しょっちゅう説教されていましたよ。
信濃_(笑)
会場_(笑)

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