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原田治 展 「かわいい」の発見 Osamu Harada: Finding “KAWAII”清須市はるひ美術館 レポート

館長_原田治さんとのご縁は、引越し業のウェルカムバスケットがキャラクターを原田さんにお願いしたいということでご紹介致しました。知り合いと知り合いがいい仕事をしてくれるということで私としては嬉しいことでした。原田さんと知り合ったのはこのウェルカムバスケットの仕事の前で、私が関わった安西水丸さんの展覧会がありまして。水丸さんと親しかったものですから。水丸さんを通してご紹介していただいて何回かお会いしています。
原田治さん、ペーター佐藤さん、安西水丸さん、新谷雅弘さんはパレットクラブのメンバーです。この世代の方というのはデザインをやっていく上で、ものすごくいい時代なんですよね。

1946年生まれというのは団塊の始まりですけれども、いわゆる戦争を知らない子供たちで、ずーっと世の中が良くなっていった世代です。この時代、1940年代生まれで大学へ行っている人達は、所謂アイビーファッションをしていた人達が多い。私らが大学生の時というのは彼らより5歳くらい下ですが、とてもじゃないけど洋服代にお金はかけられなかった。でもアイビー世代の1945年生まれぐらいの人達っていうのはものすごくお洒落なんですよ。そもそもアイビーファッションができる、ということ自体が経済的に差があって、しかも大学卒業後にニューヨークに行くんです。当時のニューヨークなんて最高なんですよ。ポップアートが全盛で、憧れのニューヨークです。
水丸さんもニューヨークにいましたので、その頃の話を聞きますと、ほとんど仕事なんかなくても、食えなくても行っちゃうっていうね、そういう状況なんですね。ペーターさんも向こうにいた時、絵を描いたりして20代を過ごしているというのは本当に羨ましい。そしてそのニューヨークでの何年間かでセンスに更に磨きがかかってくる。
どうしたらアメリカンポップな、可愛いのが描けるかなって、やっぱりそこを知らなきゃダメなんだと。理屈ではないようなこともあるんですけれども、1945年くらいの出身のイラストレーターってみんなデザイナーから始めて、デザインの勉強をしてイラストレーションも勉強している。要するに、美術大学にデザインの勉強をしに行く、イラストレーションを勉強しに行くという時代ではないんです。イラストレーターという職業も成立していない。ちょっと前までは挿絵画家だったわけです。
代表的なのは横尾忠則さん、宇野亜喜良さん。何人か出くるんですけどその人達はみなデザインの勉強をしながらイラストレーションが得意だから絵もやると。そのうち絵の注文がばーっと来るものだから、会社を辞めてイラストレーションだけで食べ始める。

今のイラストレーターの人達っていうのはデザインができてイラストレーションもできる人もいますけど、ほとんど最初からイラストレーション目的で来ているもので、イラストレーションはできるけどデザインはできない。できなくても困らないんですよね、分業になってきているから。でもこの昔はまだそのデザイン科とか、イラストレーション科というのがないんですよね。そこでデザインの勉強をして絵も描き、というかたちですね。絵を描くのが好きな人達が集まって大学に来ている、ということです。

実はその後いろんな仕事をしていくと、イラストレーターでデザインの仕事ができる人達はちょっといいんです。原田治展を見ていただくと分かる。自分のイラストレーションをデザインしている。デザイナーである原田治がイラストレーターである原田治に指示を出している。どうしたらいい?って自分のデザイナーに聞いていく。セルフデザインによるイラストを描いている。だから、キャラクターくらいは平気で描いてそれを作り出していった。

イラストレーター専門だと自分の好きなものを描くんですけど、この人達はデザインをするものですから、こういうイラストレーション、こういう画風のイラストレーション、こういうキャラクターのイラストレーション、と色々と描き分ける。自分の大好きなものも好きなように描くんですけど、もう一人の自分自身をデザインするデザイナーとしての原田治がいる。この時代の人はほとんどそうなんです。

横尾忠則さんや宇野亜喜良さんもあの感覚っていうのはもう一人のデザイナーがいるんですね。デザイナーのセンスの良さというのがそこに関わってきている。それが今は分業になっています。広告や、グラフィックデザインがデザイナーの紙媒体をやっている人達っていうのはチームなんです。昔は図案家というのが一人でやっていたんです。今は必ずチームでやる。その一番上に元締めするアートディレクターがいる。広告代理店にいたりとか。
このアートディレクターという仕事はですね、絵は全然描けなくてもいいんです。絵を描く仕事ではないっていうこと。だけど、そういうセンスとか、感性は持っていないと務まらない仕事。一般的に考えると映画監督みたいな感じ。役者ではない、カメラマンでもないけど全部分かっていないと務まらない。しかも仕事は100%外注によるもの、仕事が外からやってくる。内側から仕事を成立させるのではない。

パレットクラブのメンバー集合写真【画像01】。一番左が原田治さんで、新谷雅弘さん、安西水丸さん、ペーター佐藤さん。
ペーター佐藤さんは日本人なんですけどね。芸名がペーター佐藤さん、ちょっと早く亡くなっちゃいました、私もとても仲良しでしたけど…非常に寂しかったです。新谷さんはまだご健在で嬉しいですね。
でもパレットクラブスクールは今も新しい先生を迎えて健在ですし、オサムグッズは1976年にスタートし始めて80年にダーッと出て、今も続いているわけでしょ?40年、45年続いているわけですから。それで親子で原田治展来ている人達すごく多いんですよね。こうなってくると、キャラクターは永遠なんです。お菓子でもそうですし、一般に様々なものがワーって出ては消えてしまうことがすごく多いんですよ。消えなくするにはどうしたらいいか。一世代生き延びることですね。一世代生き延びると、親が子供に伝播していくんですね。子供はやっぱり親の感性で可愛いとか、美味しいとかがありますから、そうすると親子ですからとても安心してグッズや食品を得ることができる。

原田治さんが好きだという人達、それから美術が大好きだという人達が多いと思いますが、原田さんのこの二冊の著書。『ぼくの美術帖』『ぼくの美術ノート』【画像02】。可愛いの秘密は何も書かれていないけど、本当の美の秘密が書かれている。というよりも、原田さんの感覚や知性というものが、どこから来ているかというのが、とてもよく分かる。
これ、原田さんの美術評論なんですけど、評論家みたいに固く書いているわけではなく、好きなものがどれだけ素敵か、ということを書いている。その好きなもの、好きな作家とりあげて書いているんだけど、とにかく色々な人が出てくる。ルネッサンスの作家から、現代美術の作家まで。名画の作家がいると思ったら絵本の作家がいたりとか。つまらない権威の中で美術を見ているのではなくて「面白い、これはいい」という作家達を自分の感性で見て自分で分析している。本当、見事ですね。こんな可愛いのを描いている人がですね、これだけ深い美術に対する見識を持っているということにびっくりします。興味を持たれた方はペラペラっとめくってみて「こういうことか」と思ったらお求めいただいて…宣伝しても美術館が儲かるわけじゃないんですけどね(笑)。
原田さんの魅力はここから来ているのか、ですとか、アートディレクター、デザイナーとしての原田さんはやっぱりこれだけの幅の広い教養、知識、そういうものを持っているから、こういうのができたということがよく分かります。

 

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