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OSAMUGOODS NEWS

OSAMU GOODS TRIBUTE

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原田ーーー「女性のお客さんが多いから、余り専門的な話をしても面白くないかな。最初はデザインの話や今話題の商標権の話とかしようかなと。トークショーに来た方によって話を変えようか、と思ってました。」

石井ーーー「いえいえ、そんなことはないと思いますよ、皆さん興味津々で聞いていらっしゃいますから。え〜と、アナログの原田さん、デジタルの伊藤さん、それぞれ作業の方法が違っても、頭の中に発想の元があるのは同じですよね。個性や気を付けること、キャラクターを作る前のインスパイアとか」

原田ーーー「ぼくはもう完全に50年代60年代のアメリカがエッセンスですね。オサムグッズを始めた70年代の頃はそういうものがもはや何処にもなかった。1970年代はもう全然ない。チャールズ・イームズなどの人気がぶり返してブームになるのは、もっと後ですしね。10代の頃に取り憑かれてたハリウッド映画のニュアンスをキャラクターに加味したんですよ」

伊藤ーーー「原田さんが実際に見てきたものが、ですね。資料などはあったのですか」

原田ーーー「1970年代はノスタルジックな気持ちでやってました。記憶が大きい。資料は少なかったですね。当時はピンタレストなどはないから(笑 古本屋に行ったり。やはり映画が重要な位置を占めていますね、記憶を膨らませる装置として。パクリしたくても出来ない(笑」

伊藤・石井ーーー「ははは」

原田ーーー「オサムグッズのキャラクターは10代の頃に観た映画の、ハリウッドの青春スターをイメージしましたね。女の子のコスチュームは、ハリウッド映画のコスチュームデザイナーの草分け、イディス・ヘッドを参考にしたり」

伊藤ーーー「原田さんは東京ど真ん中のお生まれですが、10代の頃に影響を受けた映画以外に、必要なアメリカンソースはどうしていたのですか??満ち溢れていたのですか??」

原田ーーー「探さないとなかったかな。例えば下町に行くと、全くない。ぼくは家が青山だったから、六本木や赤坂などで。外国人がいっぱい居たから、アメリカ文化が見つけられた。あ、日比谷のドラッグストア「アメリカンファーマシー」の存在は大きい。当時は神戸の元町にもあった。ドラッグストアだから日常雑貨の宝庫。外国人向けのサラリーマンの生活用品を集めた雑貨屋ですね。日常生活に必要な事務用品以外にもお誕生日のカード、クリスマスカード…ヴァレインタインはまだ日本でも知られてなかったけれど、そこには紹介されていましたね。そういった日本でまだ流行ってない豪華なグリーティングカードとかを集めました。ぼくの物作りのルーツですね」

伊藤ーーー「成る程、電化製品もあったのですか??」

原田ーーー「電気製品もありました。高価なアメリカ製のミキサーとかね。伊藤さんがチャッピーを発想したきっかけを聞いてもいいですか??」

伊藤ーーー「もう女の子が好きなものを作りたくて。ウケたらいいなくらいの。動機が不純だった(笑 女の子と言えば着せ替えの人形、音楽でも何でもそれでイケるんじゃないかと。シンプルで、シンボルマーク的な、無個性。ぼくみたいなおっさんがいうより、若者に通じやすいんじゃないかと思いました。やってるうちに個性が生まれて来るって感じでしょうか。ただし、チャッピーは原田さんと違って、キャラクター商品として成功しなかった。一世風靡しなかったチャッピーでしたが、広告手段としては良かった。でもオサムグッズは…」

原田ーーー「時代がね、良かったというか。1970年代から1980年代は、地方の文房具屋さんでファンシーグッズやキャラクターグッズの人気が出てきた時代ですね。文房具屋さんが次々にファンシーグッズ屋に変わった。サンリオもそう、キティなどが出てきた。十代の中学生や高校生の女の子のためのキャラクターデザインが隙間産業だったというべきか。」

石井ーーー「伊藤さんや原田さんの個性、それぞれに時代背景が想像出来ますね」

原田ーーー「伊藤さんのはバブル崩壊後を感じますね。ぼくらの時代と全然違う。まず若者の感覚が違う。でも、キャラクター的なものと相性が意外に良いのがデジタルとも言えるし、作画の面倒さがなくて、どんどん作られ過ぎてしまうということもある。」
 
伊藤ーーー「そうです。消費されやすい。90年代からキャラクターが育たないんですよ。デザイナーがキャラクターを作る場合も増えた。その良さが全てデザイン志向となって成功しない。何か実態が掴み難いデザイナーのデザイン志向が邪魔をする感じがします。
 
原田ーーー「コマーシャル、グラフィック・デザインのキャラクターは狂言回し。企業などのメッセージを伝えるための何かに過ぎなくて、類型化しちゃう。どんどん個性が薄れてしまう。広告の域ですね。」
 
伊藤ーーー「キャラクターグッズとしては見向きもされなかったチャッピーは、広告としては成功しました」
 
石井ーーー「大事なことですね、時代性を考えるということは…。さて、イラストレーターの方にはいろいろいらっしゃいますが、その仕事の早さというか。ぼくの知り合いでも手が遅い方もいて。編集者に自分が満足しないと原稿を渡さない!!(笑 というようなこだわり派も。お二人はどうですか??」
 
伊藤ーーー「いや、そうですね、締め切りは守る方だとは思いますが、そんなサクサク仕事は出来ないですね。手は遅い方です。頭であんまり考えないというか。閃きを持ちますね。」
 
石井ーーー「良いものを出す人は遅い。原田さんは遅いかも」

原田ーーー「(笑 遅いけど書くのは早いですよ。考える時間は重要。河村要介さんは遅いかな。競争したくらい。早く描くのは安西水丸さん。人それぞれですね。描くスピードのような癖みたいなのはスタイル。河村さんも描き出してからから早いんですよ。

石井ーーー「昔は豪傑がたくさん居ましたね。印刷屋がイラストレーターの家まで押しかけて”俺を殺す気か”とか言っちゃったりで。原田さんは又別なオーラがあって、ぼくらや印刷屋を寄せ付けない雰囲気がありましたね(笑」

原田ーーー「そもそも時間給みたいなもんじゃなからね、時間観念がないんです。締め切りを電話で聞いてから描いたこともある。こだわってもね。芸術の仕事じゃないから、何処かで折り合いをつける。ただ、いい加減なことはしていませんよ。決められたことはで守りますよ。オサムグッズは一点一点がこだわってプロダクトしてあるから、絵柄をいちいちこだわり抜いて新しく考える時間は取らない。1つの絵柄に対し配色を決めているからその繰り返し作業で、売れると新しい色を考えますね」

専門的な話はどうかなと原田さんは言いますが、会場にお越しの皆様は熱心に頷いていらっしゃいました。さて、話はどんどん佳境に入ってゆきますが、今回はこの辺りで。次回もお楽しみに。

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