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PALETTECLUB特別企画 原田治のイラストレーション展

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服部_どうですか、展覧会。
菊地_面白かったです。あの…知らないと思った作品もあったし…意外に幅が広いな。
服部_ね。最初の頃はさ、いろんなタッチのさ、タッチというかいろんな形の…タッチはいつもいろいろなんだけども、形とか…
菊地_うん。だって、20代でしょ?

服部_まだ定まってないって言うかね。上手いし何らかの方向はあるけど…、何て言ったらいいんだろ…。めちゃめちゃ上手いですよね。先輩だけど、敬服しますね。

菊地_うん。OSAMU GOODSとかもそうだけど…なんか絵もそうだけど…。スクールバックに無駄がない。レイアウトに、サイズ感。
服部_サイズ感ね、そうだね。デザイナーですよね。昔のイラストレーターって、デザイナーでもある、っていう感じが割とある。
菊地_うん。
服部_イラストレーターって言った時に思い描く像が、原田さんの時代は割とデザインに寄ってますよね。
菊地_うん。

服部_だって自分でやっちゃってるし。なんて言うか、デザイナーが絵を描いてって…そういう仕事もあるけど…。結構自分で世界を作っちゃうっていうか…。後、文字が上手いよな…。
ここでね、教えてた時に…原田さんと話してて…写真文庫って知ってます?

菊地_写真文庫?

服部_うん。もう出てないけど、写真文庫っていうのがあって。岩波から(※岩波写真文庫のこと)。…その中で、50年代のアメリカの写真を集めたのがあって。「いいよね~!50年代のアメリカ」って言ってて。いろんな看板がいっぱいあって。看板の文字がさ、すごいキレイで。「いいよね~!いいよね~!」って原田さんが言ってて。そういう感じがするんだよね、原田さんの作品って。自分のオリジナリティーとかオリジナルなこととかを無から無理矢理っていうんじゃなくて、あるテイストを上手く引用してきて、っていう…。OSAMU GOODSとかでもそうなんだけど。その作風が。

菊地_50年代のアメリカへの憧れね。渡米した原田さんが「僕のアメリカはここにはなかった」って言って、イラストレーターになったっていうのを、知り合いが何かに書いてた(笑)ちょっと適当だけど(笑)

服部_そうなの。原田さんが好きだったアメリカの文化が、50年代とか60年代で。原田さんが70代だから…やっぱり50年代が好きだったのか。そうかもしれないね。
菊地_服部さんはないですか?外国文化に憧れたりとか。
服部_いろいろとありますよ。アメリカだよね。メジャーリーグが好きだし…
菊地_野球が好きなんじゃ…(笑)

服部_そうじゃないの、アメリカの野球のデザインが好き。選手の名前とか全然知らないもん。アメリカのレッドソックスのユニフォームがカッコいいなとか、そういうのが。

菊地_レッドソックスじゃないかなぁと思いましたよ(笑)
服部_(笑)
菊地_(笑)
会場_(笑)

服部_『ビックリハウス』は知らないでしょ?
菊地_『ビックリハウス』はね、最終巻だけ持ってる。でももう、古本屋ですよね。
服部_一回も買ったことないけど(笑)全部立ち読みだったんですけど(笑)結構、原田さん、表紙描いてますよね。
菊地_榎本了壱さんっていう…編集者でクリエイティブで…

服部_名物編集者ですよね。あそこに原田さんが描いた榎本了壱さんの表紙【7】がありますよね(と、展示されている作品を指差す)。あそこの絵の【8】左側が榎本了壱さんで、右側が萩原朔美さんっていう当時の編集者ですね。

菊地_うんうん。

『ビックリハウス』は1974年から1985年までパルコ出版から発行された元祖サブカル雑誌。読者(ハウサー)からのパロディーやユーモアをネタにした投稿が中心で、若者に絶大な影響を与えたメディアだった。常連投稿者(ハガキ職人)の中には一般人時代のタレント、歌手、俳優、作家、文化人が多くいた。

治さんが描いた『ビックリハウス』(1977年)の表紙。榎本了壱さんがキングコングになっている。

『ビックリハウス』の名物編集者である榎本了壱さん(左側)、右側が萩原朔美さん(右側)のふたりをモチーフにした絵。

治さんが『ビックリハウス』のデザイン制作したり絵を描くようになったのは、榎本了壱さんと萩原朔美さんから、一緒にやらないかと誘われたのがきっかけ。当時20代でペーター佐藤さんと共に誘われたそう。『ビックリハウス』での治さんのペンネームは「明石町先生」。

服部_菊地くんは、ここでイラストレーターの…どういうことを教えるんですか?
菊地_デザイナーになっちゃえば、いくらでも自分で絵を描いて大丈夫だよ!って教えてます(笑)
会場_(笑)
服部_(笑)
菊地_僕、どっちかって言うとそういうとこ、あるんです(笑)
服部_どういうこと?

菊地_僕、キャリアの初めが絵を描いたり、イラストのバイトみたいなのから始めて…なんかちょっとラフ送って…、デザイン画出せ!って言われて出して…始めたのがデザイナーになるきっかけで(笑)

服部_うん(笑)
菊地_仕事の話で、デザイナーなんかに媚びて仕事貰おうとかしてないで(笑)自分でやれば、と思って(笑)
服部_デザインの方がイラストレーションを描くよりやりやすいよね?(笑)絵を描ける人だったら、デザインは覚えられるよね。
菊地_と、思う!
服部_今、デザイナーと名乗ってる人は、絵を描けない時代だから…絵を描けるデザイナーは有利っていうか…
菊地_そうですね。
服部_やり手だな…それはすごくいいだろうなと思いますよね。…100%ORANGEとかデザイナーだもんね。
菊地_完全にデザイナーですね。

服部_実はね!素晴らしいデザイン力で…。昔はイラストレーターとグラフィックデザイナーって…はっきりした壁っていうか、ちょっとこう…混じり合ってる領域が結構ありますよね。

菊地_湯村(湯村輝彦)さん所もデザイナーですよね。
服部_あぁ…デザイナーだよね、実はね。広告とか本の装丁とかいっぱいされてるし。
菊地_うんうん。

服部_…仕事でもっと…イラストレーションをしたら…?

菊地_描いてます(笑)僕の場合、描いてるって言ったらあれだけど、締め切り過ぎてからやってる(笑)いっぱい絵を使って、ひとりだけでムービー作ったり。ひとりだけでほとんど。服部さんは自分のさ、絵的なデザインをするでしょう?

服部_うん。
菊地_あれは、イラストですか?
服部_…分かんない(笑)
菊地_分かんない(笑)
会場_(笑)

 

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