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OSAMU GOODS TRIBUTE TALK SESSION   Report Vol.2

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石井ーーー「まぁ原宿からですよ、オサムグッズは。最初キディランドに入れていただいて、そこから全国に広がったんですよね。」

原田ーーー「そうですね、営業の人がグッズを手持ちでお店を渡り歩いてね。最初は中々商売にはならなくて。そうしたら80年代にファンシーグッズ屋さんが全国にポツポツと出来始めて。それで約300店舗くらいあったかなぁ。ぼくは営業は担当していないからはっきりとは分からないけれど、直販して。ずっと責任者として全国に売り歩いていた営業職もいて。」
石井ーーー「一番最初はキディランドで。」

原田ーーー「コージー本舗は付けまつ毛のメーカーさんなので、そこの中で作ったものは、製造元だけど発売元ではないので、直接売ることは出来ないんです、メーカーだから。それで子会社にダスティミラーって会社を作って、そこに卸して売っていきました。古いオサムグッズを見ると、ダスティミラーNEWYORK-TOKYOって表記されてあります。それを見た当時の人たちがアメリカのもんだって思ってね(笑 詐欺じゃないんですよ。」

石井ーーー「そうそう、ニューヨークにオフィスはありましたから。」

原田ーーー「コージーは貿易業もやっているのでね、将来はニューヨークのオフィスの方でもオサムグッズを売っていこうという願いも込めてね。」

石井ーーー「一回はね、そういう話があったんです。ニューヨークじゃなくてLA、ロサンゼルスですね、ヘヴンって会社だったかお店だったかで、まぁ、古い記憶なんで(笑 」

原田ーーー「うんうん、覚えています、カリフォルニアのね」

石井ーーー「ロサンゼルスのセンチュリーシティってところにお店があって。実はぼくはもうコージーさんを辞めちゃった後だったんですけれど。その店に輸出が出来たんです。そして、なんでしたっけ、あの、パルコ出版さんの『リトルドッグ(※1画像参照)』が…」

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原田ーーー「はい、イラストレーション集の。」

石井ーーー「はい、それが店に出ておりまして、そのパルコ出版の本は結構売れたらしくて、他にもいろんなイラストレーターの同様の本はあったのですが、原田さんのが一番売れたらしいんです。それから本を見たロサンゼルスの会社からパルコ出版に連絡があって、それで当時のパルコの社長さんのところにロサンゼルスの会社から手紙が来て、で、その手紙が一ヶ月か二ヶ月後に原田さんのところに届いて、それでぼくが呼ばれて受け取って開いたら、すぐ契約したいって書いてあって、それで、3年くらいの契約をしたいって、確か何万ドルとか書いてあった気がします。いやもう、これは大変だって、ぼくもすぐに手紙を出して…でも、もう既に何ヶ月も経っちゃってる状態で…、原田さんはもうこれは契約をハワイでやりましょうって。」

原田ーーー「太平洋の真ん中だし、お互いいいんじゃないかってね(笑 でもダメになっちゃったんですよね」

石井ーーー「はい、でもぼくの企画書もまんざら嘘じゃないぞって。しっかり陽の目見たっていうね。オサムグッズがセンチェリーシティのヘヴンで売られているとき、向こうにぼくは見に行ったんですよ。そしたらちゃんと、結構なスペースを取って、オサムグッズコーナーが出来てて。その店のアートディレクターが凄い気に入って、聞いたら相当数のデザイン関係などの出版物を出してる人でもあって…目に止まったというか。原田さんの絵やオサムグッズはインターナショナルな世界なんだなぁと思うんですよ、今でもずっとそう思うんですよ」
原田ーーー「まぁそういうこともありました、って(笑 石井さんはやりたい事が誇大妄想的っていうか(笑 壮大な計画を立てるんですよね(笑」

伊藤ーーー「でもそういう誇大妄想があったからこそ…」
原田ーーー「そうですね、オサムグッズは生まれなかったのです」

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