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OSAMU GOODS TRIBUTE TALK SESSION   Report Vol.2

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石井ーーー「今回のエキシビジョンにおいてもたくさんのグッズが展示されていますね」

伊藤ーーー「全体のお仕事を想像すると、物凄い点数だと思うんですよね。全ての原稿はどうされていたのだろうと。その度に用意されているのですか??」

原田ーーー「1つの絵を使い回しますね。ただ1つのデザインに対し、複数のカラーパターンを考えておきますね。売れてしまってリピートがかかると新しいカラーを加えたりして、そういうのを加えると凄い数になっています。原画はそんなにないかも。何千とはね。」

伊藤ーーー「原田さんと石井さんの出会いが面白いそうで…」

原田ーーー「ぼくが石井さんの話をしますね。コージー本舗って付けまつげ屋さんが浅草にあるんですよ、あ、今日も小林社長が来てくださっていますが、その先代、あの方のお父さんが社長さんのときに、石井さんが写真で、いろいろ企画してくださって、オサムグッズが出来ました。」

石井ーーー「そうです、きっかけはぼくが社員のときですね。軽トラックで配達などやっている間に、頼まれもしない企画書をいっぱい作っては上司に怒られたりしてね(笑 そんなことをしているときに娘が生まれて、何か可愛い玩具を与えようと考えたけれど、あ、これはキティちゃんじゃないなぁと。スーパーマンとかポパイとか見て育った世代であるし、その辺りは原田さんとちょっとでも共通項があったのかなぁ。」

原田ーーー「はい、そうですね」

石井ーーー「雑誌ananに掲載されていた原田さんのイラストレーションを見て、何か閃きましたね。地図を描いていたのです。絵でね、分かりやすく。」

原田ーーー「そうそう、70年代の初めくらい、ディスカヴァージャパンが大ブームでね、旅のガイドでイラストレーションの地図を描いていた。」

石井ーーー「そのとき原田さんは29、30歳、ぼくも同い年くらいの、若い頃ですね。ぼくもまつ毛メーカーである商売柄、ananを読んでいたのですよ。そうするとね、分かりやすく鎌倉マップや軽井沢マップが絵解きで描いてあってね、化粧の仕方なんて興味はないけれど、マップは凄いなぁと思いました。それで、グッと感じるものがあって、妄想を膨らませて原田さんのイラストレーションで何か出来ないかと、企画書を作り上げるわけですよ。」

原田ーーー「最初はコージーの広告、販促の…」

石井ーーー「そうです、プレミアム商品のための。キャンペーンのおまけ。そうして、実はキャラクターグッズをやりたいってまとめた企画書をね、一生懸命作りましたが、もう反対以前の話で。誰も読んでくんない企画書で(笑」

原田ーーー「まぁそれでもコージーのプレミアム商品が抽選で当たるものでぼくの絵が使われて」
石井ーーー「はい、ぼくの仕事の中で強引に当てはめようとしました。スタイリストで活躍されていた方に原田さんの連絡先を聞いて。いきなり電話をして。超フライングですよね(笑 そしたら快く話をしましょうって言ってくださって、じゃぁ、有楽町のジャーマンベーカリー(1998年に惜しまれつつ閉店 ) 」で会いましょうって話になって。そこで企画書を原田さんに見せて、こんなものをやりたいんですけどって。それが初めでした。」

原田ーーー「前例がない時代でしたね。イラストレーターがグッズを作るっていうね。漫画の主人公がいろんな付録に使われていることが圧倒的に多くて。」

伊藤ーーー「おばけのQ太郎などですかね」
原田ーーー「そうです。後は水森亜土ちゃんのグッズ、その前は内藤ルネさんのそれいゆ。伊藤さんは知らないでしょう?? 時代が違うとね。」

伊藤ーーー「ウチの姉貴が亜土ちゃんのグッズを使ってました」

原田ーーー「お姉さんが亜土ちゃんのね。成る程、じゃぁ、お母さんがルネさんかもしれない。まぁ、ルネさんのは分からないよね」

伊藤ーーー「見たら、こう、分かるんですけれど、実体験としてはないですね」

原田ーーー「70年代だとルネさんも終わってたから。少女向けのいろいろな雑誌や雑貨が充実していたのは50年代のことですね。70年代だと、10代の女の子たちが喜ぶそういうものは、もう何もないって状況だったかな。」

石井ーーー「そうですね、全くないって感じですね」
原田ーーー「スヌーピーもまだ入って来たか来てなかったかっていう頃でしたかね」

石井ーーー「入っては来てましたけれど、まだまだで。原宿のキディランドが今よりももっとアメリカ色が強い頃、アメリカンファーマシー(トークショー前編参照)と同じで、珍しいアメリカのキャラクター雑貨がたくさんあって、発見の喜びというか、好きな人はキディランドを訪ねる、みたいな感じで。」

原田ーーー「ディズニーのキャラクター雑貨もまだないですね。あれはディズニーランドが出来た後くらいからですよね。」

石井ーーー「キディランドは、こう、スーパーマン、とか、バットマンとか、ベティちゃん、とか。別に買うだけでもなく、見ても刺激になったりで」
原田ーーー「輸入品のね」

石井ーーー「そうなんです。で、それらからもインスパイアされた企画書の中に、日本産のキャラクター雑貨を海外でも売ろうと盛り込んで。ライセンス料を外国に支払うだけではなく、こっちも取っていこうと。誇大妄想気味だったけれど、懸命に企画書に書いて。でも、会社では却下されちゃったので、自腹でTシャツのサンプルを作って企画書に付けて再提出したら、ようやくコージー本舗の先代社長が認めてくれて。なんだよ、これ、幾らあったら出来るんだよってボソって言ってくれて。全然自分にリアリティもなくて(笑 幾らお金があれば出来るかって言われても(笑 まぁそれでその方がOKしてくれて。」

原田ーーー「そうでしたね。」

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