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OSAMU GOODS TRIBUTE TALK SESSION   Report Vol.2

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原田ーーー「サンプルと言えば、凄いのを思い付いちゃって、あの箱根のね、箱根細工。寄木細工ってのがあるんですよ。」

石井ーーー「あー、ありましたね、寄木寄木。」

原田ーーー「寄木細工でもグッズだから量産しなくちゃならない。木をスライスして組み合わせたりしてね。(会場に向かって"寄木細工って分かりますか?"会場頷く)」、それでハンプティダンプティだかのイラストレーションを渡してね、木を染めて貰って、色も付けて、組んで貰って、スライスして、箱に貼ってゆく。箱根の細工物が面白いんじゃないかなって、ぼくと奥村くんと当時の関係者皆で箱根に行って、温泉に浸かりながら(笑」

伊藤ーーー「企画会議ですね(笑」

原田ーーー「そうそう。それで細工の職人さんをいろいろ紹介して貰ってね。相談したら、面白いからやってみましょうかと話が進んで、それで原画を渡して…。でも出来たものは全然崩れちゃっててね(笑 それでもうそれは諦めた(笑」

石井ーーー「それで木の箱にプリントする方向に変わって。」

原田ーーー「それも上手く行かなくて、それで普通のシルクスクリーンになったのですよ。それはもう、つまらなくて(笑 展示会に出したけれど、ゴミ箱とかにしかならないから。それでどこからも注文もされなくてね。」

石井ーーー「あのウォーミングアップの1年間は凄かったですよね。」

原田ーーー「それが一番面白かった。」

伊藤ーーー「そりゃもう、そうでしょうね。」

石井ーーー「よく許されたなぁってね。」

原田ーーー「コージー本舗の皆さんも若かったしね。」

伊藤ーーー「次に何かの糧として回収されるまで、時間がかかりますよね。大変ですよね。」

原田ーーー「やっぱり、コージー本舗の先代の社長さんがね、新しもの好きなところがあってね。」

石井ーーー「いや、よく出来たなぁってね。いや、もう、そんなの思ってないですけどね(笑 なんでグッズをもっとやらせないんだ!!って当時はぼくも怒っていたり(笑」

原田ーーー「後ね、その先代の社長さんのせいでね、もう、恥だから言いたくないんですけれど、もう今日は良いかなって(笑」

石井ーーー「何ですか、言っちゃってくださいよ。」

原田ーーー「あのね、コージー本舗、付けまつ毛屋さんがスポンサーのラジオ番組があってね、AMだったかな。FM?」

石井ーーー「ああ、はい、AMですね。」

原田ーーー「関東だけのね。何だっけ、ラジオ関東…ラジオ関東ってまだあるの?」

石井ーーー「ラジオ日本ですね。」

原田ーーー「最初はね、六本木の狸穴(まみあな)ってところにあって。そこでラジオ番組ですから、コージー本舗が提供する30分のラジオ番組なので、そこにオサムグッズをやり出した頃、先代の社長がぼくをもうちょっと売り込みたいって言うから…」

伊藤ーーー「スターとして、ですもんね(笑」

原田ーーー「スター…。ははは、いや、ははは、まぁ余りにも誰も知らないから、オサムグッズって言っても当時は。それでディスクジョッキーみたいなものをぼくにやれと(笑」

石井ーーー「ゲストがやっぱり良かったですよね。もう豪華でしたよね。」

原田ーーー「ディスクジョッキーって言ったって、30分程度の音楽番組なので、ゲストの人にリクエストして貰った曲をただかけるっていう感じで。それでゲストの人をやり取りするだけのね。伊藤京子ちゃんってね、歌手の人がサブで付いてくださって。で、そのおかげであまりしゃべらなくて済んだ(笑 で、まぁラジオ番組を続けていたこともあるのです。」

石井ーーー「ゲストの名前を言ってくださいよ、ゲスト。もう凄いんだから。」

原田ーーー「ゲストはね、ゲストは友だちを呼んで良いって言うから、例えばペーター佐藤とかね。」

石井ーーー「ペーターさん、確かあの番組で歌いましたよね(笑」

伊藤ーーー「ラジオで、ですか(笑」

原田ーーー「ペーターは演歌が大好きだから。いつも一緒に演歌を聴いていたんです。ペーターをゲストにしたら、もう当然演歌をかける。それでラジオ関東の人って何もぼくに言わないから、何でもかけて良いんだって思ってね、でもそういう番組じゃなかった(笑 だから、もう(笑 それで、あの、テーマ曲ってね、あ、誰だっけ、…あ、あのムーンライダースの。」

石井ーーー「えーと、あ、鈴木慶一さん。」

原田ーーー「そう鈴木慶一さん。凄いのを作ってくれて。あ、ゲストが河村要介さんの時はもちろんサルサをかけたりして。マニアック。」

石井ーーー「ゲストで文化屋雑貨屋の…」

原田ーーー「そう、長谷川くんもぼくの友だちだったから。文化屋雑貨屋はもうないよね。それからね、ゲストは…」

石井ーーー「おすぎさん。」

原田ーーー「そうそう、おすぎ。当時映画の試写会に行ってる時に知り合って、当時ビックリハウスって雑誌があって、おすぎが面白いからって紹介して、書いて貰ったりして仲良くしていました。後は淀川美代子さん。今はマガジンハウスの重役になっちゃったけど。あの頃はアンアンだったかな、編集長やってて。その淀川さんもラジオに引っ張り出して。それから小暮徹ちゃんとか。カメラマンのね。同世代が多いね。」

伊藤ーーー「でも、凄いクリエイターの方々ですよね、皆さん。」

原田ーーー「まぁ呼んでそういう仕事の話はしないで、好きな曲をリクエストして貰って、ただそれをかけるっていう感じでね(笑 そんな風だからバラバラな番組になっちゃったんですよ(笑  小林旭をかけてくれっていう人もいるしね(笑」

伊藤ーーー「それが1年間行われたわけですね(笑  毎週ですか?」

原田ーーー「うん、毎週。」

伊藤ーーー「残ってないのですか、その、当時の録音テープ。」

原田ーーー「うーん、確か残ってたはずなんだけど、ほら、テープだからダメになっちゃう。幸いにね(笑」

伊藤・石井「(大笑)」

原田ーーー「若い頃だったから、恥ずかしいことを結構やっているんですよ。」

伊藤ーーー「もうちょっと聞きたい感じもします(笑」

原田ーーー「いろいろね、軽いノリでやってたんですよね。石井さんがね、誇大妄想の石井さんが考えてるから(笑 ね、ノリが皆が軽かったんですよね。」

石井ーーー「そう(大笑」

原田ーーー「楽しけりゃそれで良いだろうって。」

伊藤ーーー「良いことですよね。明るい。」

原田ーーー「あんまり商売のことを考えてなかったかな。付けまつ毛が本業だから。で、そのダスティミラーを考えたのも、そのコージー本舗が付けまつ毛屋さんで、浅草の下町に会社があってね、合羽橋。それでもうこっちはアメリカナイズされたものを作ろうとしているのだけど、会社の人たちは浅草のね、下町の人が多かったから通じないことも多かった。それで最初の営業担当の人が凄く良い人で、この間亡くなられたんですけどね。その、当時ね、その人と営業企画することになって、布にプリントする商品を出そうかって話の時に、布が余ってしまって、それが高い布で売れ難いからって、違う商品にどう使おうかって話していると、その営業担当の人が、じゃぁまず布だから"電話カバー"(笑、それから"ドアノブ"(笑、それから"のれん"(笑」

伊藤・石井・会場「(大爆笑)」

原田ーーー「で、それは良いってことになって、営業部長までがそれを推して来たので、それだけは勘弁してくださいってね(笑」

伊藤ーーー「(大笑いしながら)、作んなかったんですか?」

原田ーーー「(同じく大笑いしながら)、いや、今考えたら、作った方が良かったかなって。もう、あの当時の家にあった黒電話の。あのカバーですよ。もうそういう会社なんで、それで、ブランド名は作ったけれど、コージー本舗ってのはちょっと抵抗があって(笑 合わないかなって。本舗って言葉がね。コージーというのは先々代の社長さんの名前でね。創業者のコウジさん。コウジとオサム(笑 で、その組み合わせはちょっと野暮ったいかなって思って、それでダスティミラーという子会社名をぼくが考えたのです。」

伊藤ーーー「え、例えばその当時だと、グッズを作るところはもうバラバラの、違う場所だったんですか? 作るときでも物によって全然作業場が違ったのでしょうか? そんなに大きな工場とかない、というような…」

原田ーーー「そうですね、各工場(こうば)でね。それで、なるべくレトロにしたかったので、プラスチックよりもセルロイドにしたり。(会場の展示を指差して)あそこにちょうど土井さんのコレクションの中に筆箱があって、あれはセルロイドに似せた素材だと思うけれど、成形型に流し込む作業があって、型抜きって言うんですけれど、こうカシャーンと重しに乗っけてね、"蹴飛ばし"って呼ぶんですよ。それで町工場で職人さんに"蹴飛ばしに出来るよ"って言われてね。それ、いいなぁって思ってね(笑 蹴飛ばしが好きになっていろいろ作ってね。」

伊藤ーーー「良い響きですね。」

原田ーーー「後はね活版印刷がね、もう当時でもやってるところが殆どなくて、もう、デザイナーの担当の人が、田舎の田んぼの真ん中にあるようなところに出向いて、やって来て貰って。便箋と封筒を作るだけだったのですが(笑 本当にもう手作りの感覚ですね。グッズの製造をまとめて受けてくれるところなんかなかったから、1つずつ思いついたら町工場ってやる、みたいなね。」

伊藤ーーー「それは凄いですよね、楽しい。」

石井ーーー「そう。でもデザインだけじゃなくって、素材のところからバラバラにやり始めるから、(素材費が)高いんですよ。だから最初、オサムグッズは高かったんですよ。売れなかったですけれど(笑 最初高過ぎて(笑」

原田ーーー「で、結局そうなると、既に在る物を使ってデザインするしかなくなっちゃう。そして、その今回の展示の中にもあるけれど、ノートをね作ったんですけれど、大学ノートに使うグレーの霜降りの。それを使って、背のテープは在り物のテープを使って。それが最初のノートですね。それで、アメリカの文房具が好きだったんで、ノートに英語で時間表を入れてみたりとか。でも元は普通の大学ノートなんです。そして、えーと、見返しっていうかな、表紙を開けて、ノートブック本体の前に、グラシンって紙を入れたりね。あの、薬を包むヤツですね。それも在り物の、本当にお薬用のね。赤い紙を気に入って。赤い紙がなかったら、チョコレートを包む茶色の代用品を探したり。」

石井ーーー「角丸のノートもありましたよね。それも型がいるから高くなって。」

原田ーーー「そうそう。ありましたね。在り物を使っても高くなっちゃう(笑 大量生産が出来ないんですよね。だから、随分制約があったかなぁ。」

石井ーーー「制約がある中でも結構やりましたよね。本当にもう凝ってましたよね。その凝り様が全て、その原田さんの全てが詰まっているとうか。あの豆本とか。」

原田ーーー「うん、豆本。豆本を作りたくなったけれど、制作費が凄く高いんですよ。その、オサムグッズにはファンクラブってあったんですけれど、その会員の人に配るために豆本。商品じゃなくてプレゼント。今回の展示にあるかな。土井さん、土井さん、それ今回出てましたっけ?(会場にトムズボックスの土井さんを紹介しながら)、あ、あの方が、今回の展示協力をしてくれている土井さん。」

土井さんーーー「ないっすね、すみません。今回持って来なかったです、すみません。」

石井ーーー「あ、そうだ、布の絵本っていうのもありましたね、背はあるんですけれど、もう全て1ページ1ページ全てが布で出来てる本(※2)。」

展示協力をしてくれたトムズボックスの土井さん

※2

原田ーーー「カットしたところを全てギザギザにしましたね。でもそんなデザインを施したら、凄く高くなっちゃって(笑」

石井ーーー「子どもが手に取っても安全な絵本ですよね。」

伊藤ーーー「でも、大変な思いをされて作られて来たのですね。」

石井ーーー「そうそう、あ、土井さん、それを持って来たって。」

原田ーーー「うん、きれいな状態のね、驚きました。凄いな、プロのコレクターは。感心しました。」

伊藤ーーー「原田さんは殆ど持っていないのですか、グッズは。」

原田ーーー「殆どもうないですね。だいたい出来たヤツは娘にね、あげちゃう。その当時は10代だったかな。日記帳とか皆。うんざりする程ね(笑」

伊藤ーーー「嬉しかったんじゃないですか。凄い、周りに自満出来る。その、それは結構ありましたか?娘さんが使うっていうことは…」

原田ーーー「意識してるかって?それはあんまりなかったかな。」

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