土井章史さんは「『オサムグッズの原田治展』は、土井さんのコレクションがなければ開催できなかった」と原田治さんに言わしめた、当代きってのオサムグッズコレクター(プロフィールは下記参照)! 長年オサムグッズファンの方でも、「持ってない&見たことのない」グッズをも収集される土井さんのお話を聞こう!!、と熱いファンの方々が集まり、会場には立ち見が出るほどの大人気でした。弥生美術館の一階に展示されたオサムグッズを眺めながら歩き、コレクターから見たオサムグッズを土井さんが思いのままに語り尽くす30分間となりました。
1990年代にオサムグッズを見かけたときは、女の子たちのものと思ってました。ぼくの妻がミスドの景品を集めたりしていたんだけれど。2010年になって、突然オサムグッズに目覚めました。きっかけは当時ぼくは絵本の編集業の傍で、吉祥寺でトムズボックスという絵本屋さんをやっていたのだけれど、お客さんでオサムグッズを「カワイイ!!」という女の子たちがたくさんいて、自分も素直に「カワイイ!!」と思いたいなと考えていた頃に、オサムグッズの作者である原田治さんが主宰する東京築地のパレットクラブスクールで絵本のことを教えることになって、原田治さん(以下、原田さん)と知り合いになったんです。人柄を知ると格好良いんだけれど何だかヘンな人だなと思って(笑)、とても興味が沸いてきて…。そんな人が作ったオサムグッズに対し、突如コレクター欲が沸いて来たのです。
オサムグッズは1976年が始まりの年で、1993年バブル経済がはじけて縮小していくのだけれど、その20年間が絶好期です。原宿のキティランドや代官山にあったお洒落なオサムグッズのアンテナショップのソーダーファウンテン。当時行っておけば良かったな(笑)
今回の弥生美術館では「土井コレクション」と、表向きはそうなっていますが、ここ飾られているスクールバック(1)に関しては本当に手に入れにくくて、半分以上は僕のじゃないのです。この初期のパイカット・アイのものは、最も手に入れ難い。当時は皆、これにお弁当なんかを入れて学校へ持っていってたから、見つけたとしても使い込まれてたりするんだよね。もしきれいなままで持っている人がいたら是非お知らせください(笑)
オサムグッズの代表格がスクールバックで、その下層に缶カンがあって。僕が気になるのはレターを置くやつね(2)。「これをどうやって知ったの?」原田さんって思って聞いたら「アメリカの映画で見て知ったんだと思う」って言ってましたね。
原田治さんが監修した本のOSAMU GOODS STYLEに、オサムグッズは1万種あるって書いてあるのだけど、1万種って大変な数です。原田さんの手元には4千種あるらしい。そのグッズには『PRODUCED BY DUSTY MILLER TOKYO NEWYORK』(3)って書いてある。このNEWYORKっていうのが良いよね。オサムグッズを作っているコージー本舗さんは当時ニューヨークに小さな事務所があったから、それは嘘じゃないんだよ。原田さんが影響を受けたナンシーを描いたアニー・ブッシュミラーからいただいたのかな?、と思ったら、関係ないと原田さんは言ってたね。月にオサムグッズを20~30種作っていたそうだから、ひとつのイラストレーションで様々にデザインして、色違いがあったとして…う~ん、凄い仕事だなぁ。
オサムグッズにはダスティミラー以外に、タピオカ、ミスター・ドーナツ、バンバンとあるんですね。それで原田さんの娘の綾さんに「この差は何か、お父さんにさりげなく聞いて貰えませんか?」って質問したら「ダスティミラーの他のキャラクターものは販促の仕事です」って返事が来た。ミスター・ドーナツはロットも種類も多過ぎるし、デザインは広告代理店系の方々だし、じゃあ僕は原田さんがデザインしているものを集めようと思ってね。
今回の弥生美術館のポスターは原田さんがデザインしているのですよ。ミュージアムグッズとしてピンバッチを作る話になった時に「私がデザインしますよ」と連絡があった。ダスティ以降はほどんどデザインされてなかったから、久しぶりの原田治デザインなんですよ。希少品ですね。
ここに展示してある時計(4)には面白い話があって、ある女の子に今回の展覧会の話をして時計を探してると話したら「見つけました!」と連絡があった。どこで見つけたのか聞いたらいつも行く駅の定期売り場に掛けてあると。それで「その定期売り場のおばちゃんに聞いてみます」って展覧会の話をしたら、おばちゃんはオサムグッズの大ファンで集めているそうで、そういうことならと時計とハンカチいくつかをつけてもらいました。