トークショー出演者プロフィール紹介。
石井志津男さん【画像左】…「OVERHEAT MUSIC」レーベル代表。1970年代当時、コージー本舗に在籍していた石井さんの発想でオサムグッズがスタート。
原田治さん【画像中央】…ご存知、OSAMU GOODSの生みの親、原田治先生。
土井章史さん【画像右】…惜しまれながらも先頃閉店した東京・吉祥寺の絵本専門店トムズボックスを経営し、フリーの絵本編集者として、300冊以上の絵本を企画編集。OSAMU GOODS No.1コレクターで、今回の展覧会に数多くのグッズを提供している。
内田静枝さん(弥生美術館学芸員 以下 内田)_皆さまお集り頂きましてありがとうございます。本日は5時半から6時まで(トークショーを)予定しております。質問コーナーを最後にとれたらなぁと思いますけれど、お話は先生とお二方にお任せしますので、どういう流れになるか?打ち合わせは全然なしです、ノープランでやりますので、楽しい化学反応があるんじゃないかなと思います。それではお三方が揃いました。石井志津男さん、土井章史さん、原田治先生です。
原田治さん(以下 原田)_どうもお待たせ致しました。えーと、土井さんがほとんどのコレクションを見せて頂いたのでなんとか成り立った展覧会なんです。土井さんを中心にいろいろお話を…
土井章史さん(以下 土井)_僕が中心ですか?!違うような気がするな(笑)
一同、会場_(笑)
土井_やっぱり、原田さんが中心ですけど、あの…私は、古い絵本とか、まぁ絵本の編集者をやっていて古い絵本とかずっと集めてるんですけど、長新太さんとか井上洋介さんがメインになって戦前の絵本なんかも集めてたんですけど、ある日突然、なんかねぇ、OSAMU GOODSっていう…なんか入ってきたんですよ。どういう訳か。入ってきたっていうのはまた話しますけど。最初にやっぱりOSAMU GOODSの成り立ちっていうのをちょっとね、石井さんから…
原田_石井さんがこのOSAMU GOODSっていうものを最初に思いついた人なんです。
石井志津男さん(以下 石井)_いやいやいや(笑)
原田_経歴を話しましょうか?OSAMU GOODSは『コージー本舗』っていうつけまつげ屋さんが最初出したんです。そこにいらっしゃった…
石井_僕はその会社にいまして、宣伝とか商品のデザインを発注したりとかそういう仕事をしている中で、仕事ってなんかこう…煮詰まるじゃないですか。で、そういう時にたまたま自分の娘が生まれて2~3歳になって、その時にキャラクターグッズが流行るんですよね。サンリオのキティちゃん。
原田_キティちゃんが出た頃ですね。
石井_僕はやっぱりアメリカンコミックみたいなものが好きだったので、キティちゃんじゃないなーみたいな感じがあって(笑)、 ゴメンナサイ(笑)。 で、広告の仕事をしていたから『anan』って雑誌はよく故意にしていて、今のマガジンハウス、昔は平凡出版って言ったんですけど『anan』に原田さんのイラストがよく出てたんですよ。挿絵で。鎌倉MAPとかね。
原田_あそこにあります(展示のガラスケースを指さして)【1】。
石井_あっそうだね。軽井沢MAPとかね。それを見て、なんかポップでいいなぁって思ってて、この人にキャラクターグッズを描いて貰ったらいいじゃないかなって、勝手に、三段階位の、すごい妄想なんですけど(笑)、つけまつげの会社ですから全然関係ないんですけど(笑)。ただそう思ったんですね。
会場_(笑)
土井_僕、勘違いしてたのはキティちゃんはOSAMU GOODSの後かと思ってたんですよ。
石井_いや、先ですね。
原田_ちょっと先でしたね。
石井_1年先くらいでしたね。
原田_今みたいなキティちゃんじゃなくて、小さい女の子向けの商品だったんですね、サンリオの。
石井_もうちょっとチープなのかな…
原田_ほとんど子ども相手、みたいな…
土井_キティちゃんが74年でOSAMUGODDSは76年だそうですね。
石井・原田_あぁそうですか。
土井_石井さんはちゃんとキティちゃんを見てきて、こんなのを作りたいって言って…
石井_そう、それは本当にそうです。
土井_原田さんとこに行ったんだ?
石井_行ったっていうか、寺田邦子さん(※70年代『anan』創刊当時から編集に携わった編集者)って人が、共通の(知)人がいらっしゃって。
原田_ね。マガジンハウスの。
石井_そこに丁度ね、『anan』の中のページが展示されているのをさっき見ましたけど、コージーっていう会社なんで『anan』の中に2ページジャックして(笑)、『コージージャーナル』【2】っていうページを持ってて。『anan』の人に怒られましたけどね(笑)。そこに勝手につけまつげの啓蒙とかいろんな事をやってて。
原田_そうそう、そうだね(笑)
石井_その原稿を書いてくれていた人が寺田邦子さんって人がいて。その人に原田さんの電話番号を聞いて、で、僕、電話したんです。
原田_そうだそうだ。それで最初につけまつげ屋さんの景品ですよね。
石井_ああそうですね。
土井_あぁ!
原田_それで化粧ポーチみたいなのを作るっていうので、抽選か何かですよね?
石井_ああそうですね。
原田_それで当てるっていう景品を作るのが最初です。
土井_それはジャックとかジルですか、もう?
石井_いや、ちょっと似てるけど、女の子のね。
原田_ポニーテールの女の子をその時描いたんですね。
石井_ちょっと50'sっぽい。
原田_そうそう。だからサンリオなんかは小さい子向けだけども、その上のハイティーンの女の子が…
石井_そうですね。
土井_キティちゃんは74年からで、だから相当流行ったんですね?
石井_もう、流行ってましたね。
土井_凄いですね。
石井_結構流行るんですよ、"なめ猫"とかね(笑)
一同・会場_(笑)
土井_ああそうか。
石井_なんかバーン行くんですよ(笑)。テレビのヤツとかね。
土井_それで76年に出た時の、なんかもうちょっと面白い話はありますか?
会場_(笑)
原田_最初の商品、そこに(ガラスの展示ケースを指差して)『anan』の広告【3】が出てたんですよ。見た?これ、広告。一番最初のヤツ。
石井_あぁそうだ!見ました、見ました!
土井_石井さんが持ってきたんでしょう?
原田_いや、違うんだ。あれは吉本(※OSAMU GOODSサイト制作ディレクター)が持ってきたヤツなんだけど。あの、そこにあるんですけども(ガラスの展示ケースを指差して)、一番最初にOSAMU GOODSの展示会をやった時にやった雑誌広告、ですね『anan』で。これはあの、あそこでやったんですよね、赤坂の…
石井_赤坂の昔のヒルトンホテル、今のキャピタル。
原田_ビートルズが来日した時に泊まった所ですね。あそこの1階の大広間みたいな所を借りて、そこで試作品作ったものを全部並べて…
石井_それも一年位かけたんですよね。
原田_そうね、展示会をしたんです。
石井_強引に。あははは(笑)
原田_その時のサンプル品【4】ですね、商品化はしてないはずだけど…
土井_してないんですか?
原田_たぶん。したかな?
石井_いや、したんです。
原田_でも売れなかったと思う…高くて(笑)。
石井_そうですね!
土井_僕2個持ってます!
一同_(笑)
会場_響めく。
石井_スゴい!
原田_結局売れ残ってる…(笑)。それは展示会の時に出した商品です。
土井_僕らが知ってるOSAMU GOODSとは若干違いますよね。
内田_これは【4】箱根の寄せ木細工…?
原田_箱根に行って、僕が寄せ木細工でなんか作りたいって言ったんだけど、実際寄せ木で作ったら全然絵が崩れちゃったんで、それでじゃぁプリントにしよう、って言って、でせっかくだから木の箱でもってバックを作ろうって。
土井_ちょっとね、持ち歩くには危ない…(笑)…ですね。
会場_(笑)
石井_あはは(笑)
原田_サンリオはピンクとか赤をいっぱい使った、小さい女の子用の商品ばっかりだったんで、もうすこし大人の感じっていうんで、こんな感じになっていったんですね。
土井_あー、そうかそうか。それも【5】初期ですね(※内田さんが初期のグッズを取り出す)
石井・原田_それ、最初のヤツです。
内田_エプロンだそうです。大人っぽいっておっしゃっていましたけど、若奥様を対象にしてるんですか?
原田_そう…かな?それは分かんない(笑)
会場_(笑)
土井_そこらへんのは手に入れるのが大変ですね。これですよね【6】(リトルドッグの中の、築地のコーヒー屋夫妻がならんでエプロンをしている写真を指差して)
原田_そう、これですね。これ、何の本だか皆さん分からないかもしれないから、ちょっとお見せして…パルコ出版から出した僕のイラスト集【7】なんですけども、これが…
石井・土井_81年。
土井_76年から5年後なんですよ。僕みたいなコレクターにとってはとっても大切な本ですね。
原田_ここにいっぱい出てる、写真が。ここんところに。始めて5年後の撮った時の写真がこれですね【8】(リトルドッグの中の、グッズが床一杯に並べられた写真を指差す)
土井_これをいちいちいちいち見ながら、これが手に入った!とかね。
会場_(笑)
土井_あ、これとこれは同じだ!とかっていろいろ(笑)。すごく見比べるのがひとつの快感なんですけど(笑)。76年が5年後くらいってこんなに増えているんですね。この増え方って尋常じゃないっていうか、僕はそこで、尋常じゃないってもうひとつ言うと、この文章で…(と、OSAMU GOODS STYLEを取り出す)