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OSAMUGOODS NEWS

原田治さんとグルーヴィジョンズ 伊藤弘さんによる『トークショー』Vol.03。今回はOSAMU GOODSが誕生した頃の時代背景や当時人気だったグッズの比較、過去最大の展覧会の話などお届けします。

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トークショー出演者プロフィール紹介。
原田治さん【画像右】…ご存知、OSAMU GOODSの生みの親、原田治先生。
伊藤弘さん【画像左】…原田先治生が一番好きなアートディレクター。『groovisions』代表。グラフィックやムービー制作を中心に、音楽、出版、プロダクト、インテリア、ファッション、ウェブなど多様な領域で活動。100%ChocolateCafe.をはじめとする様々なブランドのVI、CI、『ノースフェイス展』など展覧会でのアートディレクション、MUJI TO GOキャンペーンのアートディレクション&デザイン制作など。
司会・進行役は弥生美術館学芸員の内田静枝さん。

伊藤さんはgroovisionsの代表作である女の子の着せ替え人形キャラクターチャッピーなど、様々なグッズを数多く手がけられました。

原田_伊藤さんはご自分でいろんな商品をね、作られたりデザインしてるから…
伊藤_しました…けどね…
原田_原価計算って一番大変でしょう?
伊藤_そうですね。結果的にあれですね…何かこう…
原田_定価を決めちゃって、ものを作るっていうのはね…
伊藤_そうですね。なんですけど、まぁ例えばTシャツひとつとっても、僕らがやると、その…例えばユニクロとかが作るTシャツの価格の3倍くらいになちゃうんですよね。
原田_うん、なっちゃいますよね。
伊藤_そうなると、全然太刀打ちできないというか。
原田_そう、そう、そう。ねぇ。
伊藤_なんか結局馬鹿らしくて、結局止めっちゃって。そういう所はありますね。
原田_今はほとんどそうですね。
伊藤_だから、よっぽど何かねぇ、贅沢に…あまり…コスト度外視で、楽しみで作るんだったらね、いいんですけどねぇ。
原田_今はそういう時代じゃなくなっちゃいましたね。
伊藤_そう、違いますね。
原田_余裕がないんですね、もうね。
伊藤_余裕がなくなりましたね。
原田_…なんか暗くなっちゃたな(笑)
会場_(笑)
伊藤_まぁ…ね、仕方ないですよね。
原田_うんうん。まぁ、良い時代にこういうこと出来て良かったな、と。そういうことですね。その一言で済んじゃいそうですけど(笑)
伊藤_でもあれじゃないですか、このOSAMU GOODSが日本で作られて売られてる頃って、実はちょっと昔のアメリカを思わせるこういうものって、実際アメリカには…
原田_もうないんですね。
伊藤_なかった訳ですもんね?なんか…不思議と言えば不思議ですよね。
原田_そうですね。

"古き良きアメリカ"を思わせる、OSAMU GOODSが作られ日本で売られ始めたのは1970年代初頭。一方アメリカは、ベトナム戦争終結後で古き良きアメリカの面影はもうなかった頃。この日本に、アメリカが幸せだった50〜60年代の"古き良きアメリカ"を偲ばせるOSAMU GOODSがブームになったのは感慨深い。

伊藤_だから何か…あんまりアメリカの人はこうこう、昔の…いいアメリカの時代の良さを忘れてる頃に、何故か…日本に…
原田_そうですね。僕くらいの歳じゃないと、アメリカのいい時期っていうのは知らないんですね。いい時期っていうのはたぶん、朝鮮戦争が終わってベトナム戦争が始まる間だったと思います。戦争してない時のアメリカ。60年代前後か最初くらい。
伊藤_最初くらいまで。
原田_ケネディが暗殺されて、東京オリンピックがあった後あたりからおかしくなった、世界がね。その前のアメリカはのんびりしていて、中流階級みたいなのがいっぱいいて…白人だけですけどね、黒人は入らないんですけど。白人文化ですね。
伊藤_なるほど。その限られた階級の人は本当に豊かで、楽しそうな生活を送ってたってことですよね。
原田_それはもう、我々が10代の頃の憧れの世界だったんですね。映画とか音楽とかね。イラストレーションもその頃のアメリカのイラストレーション、グラフィックデザインもみんないいですね。
伊藤_うんうんうん。
原田_どっかで戦争しているとダメになりますね、人間って。
伊藤_うんうんうん。
原田_そんなもんじゃないかなぁと思いますね。
伊藤_後ね、本当に豊かな時代で。アメリカのその頃って。
原田_そうですね。ちょうど、戦争やる度に儲かってたから…
伊藤_そうですね。
原田_儲かってたの、アメリカだけですから…
伊藤_うんうん。
原田_負けたことないからね。20世紀の中頃は、アメリカの時代だったんですよね。
伊藤_そうですね。
原田_ものが豊かだってことは世界1位だったでしょうね。大衆的にものが…良いものがいっぱい溢れたっていう時代ですね。
伊藤_うんうんうん。
原田_その時代に対するノスタルジーで作ってただけなんで…既にもうアメリカにはなかったんですね、その時には…。
伊藤_そうですね。

伊藤_でもOSAMU GOODSがあった頃の…
原田_はい。
伊藤_OSAMU GOODSみたいなものっていうのはなかった訳じゃないですか、全く。
原田_ないんですね。
伊藤_なかったですよね。突然変異的に出てきた訳ですよね?
原田_そうですね。始めた頃は、小学校高学年位の女の子の持つものとして、水森亜土ちゃんとか…
伊藤_あー、はいはいはいはい。
原田_それより前だと、内藤ルネさん…ソレイユの時代だったり。それはもう今、80歳以上の人のティーンエイジャーの頃のですけど…。僕が始めた頃はティーンエイジャー向けのものってなかったんですね。
伊藤_あー。
原田_スヌーピーがやっと人気が出てきた頃だったんですね。
伊藤_あーなるほど。サンリオとかまだ日本にはなかった?
原田_サンリオがキティちゃんを始めたのと同じ頃なんです。
伊藤_あ、そうなんですか?
原田_キティちゃんはもう完全に幼稚園くらいの女の子向け、ですね。
伊藤_もっと下なんですね。
原田_かなり下ですね、最初は。ピンクと赤しか使わないような。全然バッティングしてなかった。
伊藤_なるほど。
原田_あれもディック・ブルーナのミッフィーね、ちょっとパクリが入ってますけども…(笑)
伊藤_まあ…そうですね。
会場_(笑)
原田_その頃、誰もディック・ブルーナを知らなかったんですよ。
伊藤_あ、なるほど。
原田_キティちゃんの元ネタ。僕はすぐ分かったけども。なんだこれ?って感じで…
伊藤_ミッフィーが(笑)
原田_ミッフィーがねこになってリボン付けてる!って(笑)
会場_(笑)
原田_そしたらあんな風になっちゃいましたけどね。…だから、何もなかったはずです。
伊藤_なるほど。となると、キティちゃんにしろ、ブルーナにしても…。ブルーナはあれですよね、ミッフィちゃんはもっと下ですよね?かなり…
原田_ディック・ブルーナは…絵本はそもそも…2歳くらい…
伊藤_2歳ですか。
原田_乳幼児用の絵本ですね。グッズやりだしたのは80年代くらいになってからじゃないかな?
伊藤_うん、なるほど。じゃあ、本当に中学生の女の子用のグッズみたいなものって、本当になかったんですね?
原田_なかったんですね。ディズニーが、ディズニーランドが出来たんで…。
伊藤_はいはいはい。
原田_ディズニーグッズも出来たけど、やっぱり子ども向け、の商品が多かったですね。だから、競争相手がいないって意味ではやりやすかったかもしれないですね。
逆に、その隙間を狙ったっていうのもあるんですけど(笑)
伊藤_うんうん。
会場_あー。
原田_誰もやってないからいいかなと思って。
会場_ふーん。
伊藤_あー、そうですね。

 

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