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PALETTECLUB特別企画 原田治のイラストレーション展

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トークショー出演者プロフィール紹介。画像左より

赤勘兵衛さん
自然をテーマに描く事が多い、広告美術の世界では毎日広告賞、フジサンケイ広告賞、カンヌ国際広告賞銅賞、CMフイルム銀賞、ACC賞.ADC賞、ニューヨークADC銀賞、電通賞、読売広告大賞など。

ヒロ杉山さん(エンライトメント)
ファインアートの世界で国内外の展覧会で作品を発表する一方、フリーペーパーやアートブックの出版、広告や雑誌、CDジャケットなどでも独創的なグラフィックを発表し続けている。

上田三根子さん
明るくポップな画風と、お洒落なセンスは人気が高く広告・雑誌の仕事に加え、エッセイ、コメンテーターと幅広い分野で活躍。 LION「キレイキレイ」シリーズ、プレイステーション用ゲーム「ぼくのなつやすみ」シリーズのキャラクターでおなじみ。

飯田淳さん
ハイブランドからカジュアルブランドまでのイラストレーション。ロゴデザイン、テキスタイル、広告、エディトリアル、パッケージなど、幅広いジャンルと表現力をもって活躍。 進行役は飯田淳さん。

飯田_こんにちは。
会場_こんにちは。

飯田_今日は初日なんですよね。原田さんのここでやる展覧会は。あのー、久々に…弥生美術館以来、原画を見せてもらってね、また新たに素晴らしいなと思いましたけれども、その中でトークショーをやってくれということで、(治さんの)娘さんの綾ちゃんから、去年の段階から頼まれてましてね。今日この4人が集まりました。ちゃんとしたトークショーになるか分からないですけれどもね、個性的な4人が集まりました。

会場_(笑)

飯田_この繋がりが何であるか、僕たちも分かってなくて(笑)。まぁ…ね、パレット(パレットクラブ)で教えてますけどね。それ以外の繋がりって言いますと、何かなと思ったら…20年前にね、僕たち4人と原田さんと一緒にサンフランシスコへ行ったんだよね。

上田・ヒロ_(笑)
赤_うん、そうだったそうだった。あれね。わははは(笑)

飯田_その時のツアーメンバーっだっていうだけなのかなっていうね(笑) そういう意味合いを込めての人選かなーって思ってますけどね。それぐらいから、まぁ…いろいろとね、仲良しになってますけどね。こうやってまた4人で話すことは殆どないんで…個人的に一対一とかありますけど…。かなりとっ散らかると思いますけど…それはまぁ許していただいて…(笑)…進めて参ります。
えーっとじゃぁ、何も書いてないから自己紹介からすることにして。じゃぁまず、今回の展示を観られてるんで、その感想っちゃぁアレですけど、感じたことなんかをちょっとね、言っていただければなと思うんで。はい、じゃぁ、一番年長の赤さん!

赤_あの…同級生だったんで、懐かしいなってって感じでね(笑)観させてもらって。なんか、本当、懐かしいんだよなぁー感じでね(笑)いや…大学の時ずっと4年間、一緒だったし…懐かしいなってって感じでね、不思議な感じです。

飯田_短いよ!
会場_(笑)
上田・ヒロ_(笑)
赤_原田のイラストレーションをこうして眺めると、時代を結構感じるんだよね。
飯田_こっちからずっと…(と、『anan』のカットイラストに始まって『Olive』の4コマまで、時系列にならべられた展示をぐるっと指差す)
赤_そうそう、時代をすごい感じるんだな。

画像右から左に向けて、治さんがイラストレーターとしてスタートした1970年から時系列に沿ってイラストが展示されてる。こちら側の壁は初期の仕事が中心で、70年代の『anan』イラストカットやハリウッドムービーのスターをテーマにしたイラストの『BIGI』のウェア、70年代後半から80年代にかけての『ビックリハウス』の表紙や漫画という流れ。どれも全く違う手法で描かれている。『求めに応じていくつものスタイルで描き分けていた』という言葉通りで驚かされる。

飯田_よくまとめたなって。何か上から目線ですけどね、まとまったなって思いますね。さっきあの…原田さんの娘さん、綾ちゃんから聞いたんだけれど、この原画っていうのは原田さんの仕事場にあったヤツなんです。イラストレーターはみんなそうだと思いますけれども、自分の作品をまとめてね、何の仕事を何年にって…なかなかやる人はいないと思いますよ。出版から(作品が)帰ってきたら、そのまんま開けもしないで、ケースに入れるくらいですよね。それをまた、よくここまでね。綾ちゃんに聞いたら、全然その…原田さんの、お父さんの仕事をまともに見たことがないって。描いてるとこも知らないし、何の仕事か分からなかったって。それにしてはちゃんとこの…時代別に別れてて上手い展示だなと思いました。そんなことを多分、皆さんも感じたと思いますけど。ヒロさんはどうでした?

ヒロ_そうですね、僕とかはやっぱり…あの、OSAMU GOODSのイメージが強かったんで、初期の頃の雑誌でのカットみたいなのを、目新しく見させてもらいました。結構、いろんなスタイルがあったんだなーっていうのが、すごく印象的ですね。ちっちゃなカットも【1】(『anan』)ものすごく面白いし、漫画みたいの【2】(『ビックリハウス』)もあるし…面白いですよね。時代を感じますね。なんか、やっぱり印象としてはOSAMU GOODS【3】(『OSAMU'S MOTHER GOOSE』)の、ラインでシンプルに描くっていう…僕の中の原田さんのイメージなんですけどね。

【1】1970年代の『anan』のイラストカットや、シールやワッペン、イラストマップなど。治さんがイラストレーターとしてスタートした初期の頃の仕事。

【2】1975年にパルコ出版社から創刊されたサブカルチャー誌『ビックリハウス』。治さんは明石町先生というペーンネームを使って、「ちゃんちき便り」や「薄幸サロン」等コーナーを担当。上田さんが話す萩原朔美さんがメインに描かれた漫画は、ちょうど画像中央に見える。【3】榎本了壱さんがキングコングになった表紙の原画。

【4】OSAMU'S MOTHER GOOSEキャラクター原画。初期のキャラクターは目にスライスド アイと呼ばれる切り込みが入っている。

飯田_そうですね。でもこっち側の、初期の『anan』をやった頃のは知らないですもんね。70年創刊なんでね。原田さんがアメリカに1年間、お勉強しに行ってたと思うんですけど。その後に、マガジンハウスで仕事しているんですね。創刊すぐの時に。そしてご自分でも言ってましたけど"便利屋"って。何でも描いてたっていう。その時の原画って今まで殆ど見られなかった。それがこっち側(初期作品が並べられている壁側)に出てるんで。確かに、こんなの昔見たな、みたいな。それとテクニックっていうかね、技法的にも様々なものが残っているなって感じました。

ヒロ_すごいですね。
飯田_『ビックリハウス』の辺りだと、僕なんかが大学生くらいの頃なんでね。憧れでした、雑誌で。パルコ出版っていうんだよね。

ヒロ_僕はあの、湯村輝彦さん(※1)の所に弟子入りしてたんで。僕がちょうど…湯村さんが原画を乱雑にばらまいて置いてたんで、ある時「杉山、これ片付けてくれ」って言われたことがあって。2週間くらいかけて何千枚とある原画を片付けた時に、『ビックリハウス』で描いてた湯村さんの絵が出てきて。その頃の原画が出てきて。もう…凄いなぁって見ちゃうんで片付けられないんですよね(笑)

飯田_すごい分かります(笑)湯村さんに、僕も絵を見せに行ったことがありますが…
ヒロ_あ、そうですか。
飯田_「君はイラストレーターになるよりはADとかになった方がいいんじゃない?」って言われて(笑)
ヒロ・上田・赤_(笑)
会場_(笑)
飯田_なんだこの野郎!って思いましたね(笑)上田さんはどんな感じですか?

上田_私は、もう本当に『anan』初期から大体知ってますね。もちろん『anan』は学生だったので読者だったんですけども、なんかそれまでの"挿絵"っていうのとは、違うような…なんか、バタ臭いっていうか…ちょっと日本の、和物っぽくない、お洒落な感じ…一番向こうのもの【1】(『anan』のカットを指して)とかですね。「いいな『anan』で仕事できて」って思ってました。
それで『ビックリハウス』は買ってたんで、榎本(了壱)さん(※2)がキングコングになってるヤツ【3】とかは覚えてますし…後そっちの…面白いページ【2】(笑)、萩原 朔美さん(※3)がいたり…してますよね。そういうのは知ってますよね。
この辺【5】(上田さんの背面に飾られた作品)のは初めて見たかなって感じですね。すごく素敵。和物なものから洋風なものまで、何でもご自分で取り入れて、ちゃんと形に出来るって…すごいなって、思います。(OSAMU)GOODSは可愛いって思ったんですけど、OSAMU GOODSの頃は、私はもう大人になっていたので…あまりそれほど、買い集めたりっていうのはなかった。

(※1)湯村輝彦さん…Flamingo Studio主宰。ソウルミュージックをこよなく愛するイラストレーター。別名テリー・ジョンスンでも知られる。広告や雑誌イラストレーションやマンガの文脈に「ヘタうま」を持ち込んだ元祖。『湯村輝彦のヒットパレード』『テリー百%』『決定版 ヘタうま大全集』など著作多数。

(※2)榎本了壱さん…クリエイティブディレクター。アートディレクター。プロデューサー。グラフィックデザイナー。1975年萩原朔美氏と『ビックリハウス』を創刊。『季刊ビックリハウスSUPER』編集長。アートやデザイン、演劇、雑誌編集、公募展企画など幅広いジャンルで活動している。

(※3)萩原朔美さん…映像作家、演出家、エッセイスト。多摩美術大学名誉教授。前橋文学館館長。榎本了壱氏と共に『ビックリハウス』をパルコ出版より創刊し、初代編集長を務める。パルコ文化、渋谷系サブカルチャーといった文化を生み出す。小説家でダンサーの萩原葉子は母、詩人の萩原朔太郎は母方の祖父。

先生方の背面にあるイラスト其の一。1980年「築地明石町界隈」『話の特集』に掲載した原画、スケッチ。

先生方の背面にあるイラスト其の二。1970年代後半から80年代前半の作品。「アメリカ短編作家シリーズ」や『ユリイカ』表紙、『話の特集』の表紙など。

 

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