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治さんの祖父・映画監督二川文太郎の代表作にして剣戟映画の原点とも呼ばれる『雄呂血(おろち)』の活弁(かつべん)付き映画上映会が9月14日(土)に開催されました。そのイベントの模様をお届けします。

治さんの母方の祖父 二川文太郎は、映画黎明期を支えた映画監督で脚本家でした。 “日本映画の父”と呼ばれた牧野省三が設立した京都の映画製作所に監督として参画し、牧野省三氏が亡くなるまで50本以上の映画を撮りました。当時のフィルムは自然発火しやすく、また第二次世界大戦もあったことで、戦後はほとんど現存していません。
1965年、『雄呂血(1925年)』のフィルムが奇跡的に発見されました。昭和期を代表する活動弁士でサイレント映画専門の映画会社、マツダ映画社を設立した松田春翠が発掘・入手したのでした。発見後、1965年7月7日に神田の共立講堂で『阪妻十三回忌追善特別鑑賞会』として初上映されます。クライマックスの凄まじい剣戟シーンが話題になり、無声映画(サイレント映画)史上の傑作と呼ばれる様になりました。二川文太郎が26歳の若さで監督した作品でした。この発見されたオリジナル・ネガを二川文太郎監督は観たと言われています。

原田治展では治さんのオリジンを探るイベントとして、マツダ映画社の協力の元『雄呂血』の活弁(かつべん)付き上映会を開催。当日は沢山のOSAMU GOODSファン・原田治ファンに加え、無声映画ファンの方も会場に駆けつけてくださいました。

上映前に、活動弁士(かつどうべんし)の澤登翠さんから前説が行われます。無声映画と活弁の関係や、二川文太郎監督の『雄呂血』についてを分かりやすく解説してくださいました。初めて活弁付きで映画鑑賞される方が多く、皆さん興味津々。澤登さんのお話を熱心に聞き入っていました。

さて「活弁(かつべん)って何?」と思われる方も多いでしょう。無声映画の上映中に、スクリーンの傍らで映画のストーリーや登場人物の台詞など、様々な声色を使い、解説していく映画解説者のことです。活動写真を弁ずるところから活動弁士(かつどうべんし)と呼ばれていて、活弁(かつべん)や弁士(べんし)とも略して呼ばれます。

無声映画は文字通り、音楽も登場人物の声も、ナレーションもない無音の映画です。その映画は外国で発明され、海を渡って日本にやってきました。映画を見たこともない、外国もその文化も知らない日本の人たちに、娯楽として見てもらう為には解説や音楽が必要だと興行主たちは考えました。日本は講談や浪曲、落語など話芸文化が多彩な国でしたから、世界にも類を見ない活動弁士という日本特有のスタイルが生まれました。明治29〜30年ごろのことでした。

この時代の活動写真館は、スクリーン(舞台)下手に活動弁士、舞台の前には専属の楽団(楽士という)がいて、映画を上映していました。無声映画(サイレント映画)は無音で見るのではなく、楽士による音楽と活動弁士による解説付きで見るのが標準的な鑑賞スタイルなのです。

今回、世田谷文学館で上映された『雄呂血』は、主演の阪東妻三郎さんが持っていたオリジナル・ネガを起こしたフィルムを使用しています。傷ひとつないとても綺麗なプリントを映写機を使って上映、しかも活動弁士による解説付きという、特別な映画体験となりました。

映画を見ながら手元にある手書きの台詞や解説を、表現豊かに伝えていく澤登さん。説明台詞の独特の言い回しや、七色に変化する声色で登場人物の台詞を聞くと、物語の中にぐいぐいと引き込まれていきます。活弁には決まった台本はなく、映画の本質を理解し、いかに面白い台本を書くかも弁士の腕の見せどころだそう。同じ映画でも演じる弁士によって解釈や表現が異なるという面白さがあるのですね。

『雄呂血』
1925年/75分/35mm/モノクロ
総指揮:マキノ省三 原作・脚本:寿々喜多呂九平 監督:二川文太郎 撮影:石野誠三 舞台装置: 河村甚平 現像: 田村太一郎
出演:阪東妻三郎/関操/環歌子
※世田谷文学館では16mmフィルムで上映されました。

“バンツマ”こと阪東妻三郎の無声映画時代を代表する傑作チャンバラ時代劇。クライマックスの凄まじい乱闘は、日本映画史上最高の剣戟シーンと評される。
これ以降、日本映画界に剣戟・乱闘映画ブームを巻き起った。阪東妻三郎が“剣戟王”と呼ばれ一躍人気スターへと登りつめることになった記念碑的作品。

【あらすじ】
久利富平三郎(阪東妻三郎)は漢学者松澄永山(関 操)の漢学塾で学ぶ若侍。家老の息子に喧嘩を吹っかけられたことがきっかけで、塾を破門、秘かに想いを寄せていた松澄の娘、奈美江(環 歌子)からも絶交され、故郷を追われた。
流浪の身となり惨めな旅を続ける中、平三郎の善意の行動は、人々からことごとく曲解されてしまう。次第に心も生活も荒んでいき、いつしか “ならず者”と恐れられるようになる。虚無の深淵に沈んでいく平三郎は果たして…。人を愛し正義を貫こうとした為に、虐げられ悪人の汚名までもきせられた下級武士の、怒りを爆発させるまでを描く。

澤登翠(さわとみどり)さん。1972年松田春翠門下生に。以来、多彩な語り口で現代劇・時代劇・洋画と様々なジャンルの無声映画の活弁を務めています。日本独自の話芸、活動弁士の第一人者として国内をはじめフランス・イタリア・アメリカなどで公演を多数行なっています。「伝統話芸・活弁」の継承者としての活動が評価され、文化庁映画賞他数々の賞を受賞。

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