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8月25日に『原田治展』で開催されたトークイベントをレポートします。治さんが先輩と呼び慕った盟友、アートディレクターの新谷雅弘さんを招いてお話をうかがいます。聞き手は、治さんや新谷さんとも交流が深いイラストレーターの信濃八太郎さん。
Vol.1の今回は、新谷さんと治さんとの出会いや「パレットくらぶ」結成にまつわるお話など。

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信濃_原田先生と新谷先生の出会いっていうのはやはり、平凡出版時代の依頼人とイラストレーターというところですか?

新谷_依頼人なんて立派な者じゃないんだけど。僕がアドセンターという広告代理店に入って、堀内誠一さんという人が経営者でもありアートディレクターでもあったので、必然的に助手になりました。4年間、堀内先生の広告代理店における助手をしてたんですよね。
その堀内さんが長年、エディトリアルデザイナーとして、とても力のある人で…それ全く僕は知らなかったんですけどね…迂闊にも(笑)『ぐるんぱのようちえん』なんかは描いていました。

信濃_ああ!

新谷_一躍…期待されている、凄い絵本作家として…凄い人っていうね。巷では天才と言われていた人ですから。
僕は天才なんて見たことなかったけど、会って話してみて、傍で仕事ぶりをずっと見ていて、これは天才だと思いましたよ。

信濃_ああ…。

新谷_僕は『工芸高校』という所に高校の時に入って、美大に入って…都合7年間、美術の学校に行っていたんですよ。だからいろんな人を見てきましたよ。生徒も見たし、先生も見たし。いろいろ見てきたけど、あんな人は一人もいなかった。とにかく何と言うか…驚いた。で、その人の下にずっといて…

信濃_はい。
新谷_その人が「『an・an』っていうね女の子の雑誌、作るんだよ。どう?」って言うから「はい!是非ともお願いしますっ!私を加えてください!」ってお願いして(笑)
信濃_ふふ(笑)
新谷_それで「じゃあ、おいで」ということで一緒に作ることになったんですね。
信濃_はい。

新谷_それで…準備をするんで、まず。3号準備本作って、4号目。次は本チャンへ行くって言う。4号目をやっている時にK2という…長友(啓典)さんって亡くなりましたけど…K2からの紹介で「原田治って若い人が来るから」っていうことで。

信濃_K2からのご紹介で?
新谷_そうそう、そういうことでしたよ。それで「じゃあ、いいよ」って堀内さんが言って。堀内さん、若い人の絵を見ることについては熱心だったんですよね。
信濃_へえぇ!
新谷_決してね、僕みたいに悪口言わないしね。
信濃_ふふ(笑)
新谷_すごくね、丁寧なんですよ。僕は傍で見ていて「才能ないよ!」とかね、色々言うけど(笑)
信濃_ははは(笑)

新谷_堀内さんは全然そんなことなくて、丁寧で親切で、優しい人なんですよ。僕に対してはね、厳しいけど(笑)…原田君とそういうことがあってね。
それで、アートディレクターとは、そういう仕事をする人だって僕に教えてくれましたね。

信濃_あぁ、なるほど。

新谷_アートディレクターという仕事は、若い人を探してくるという。「古い人は使わないで、若い人を使ってあげるようにしなきゃダメなんだぞ」って、そういうことを教えてくれたんですけど。その一環として“自分もそうあらねば、ならねば”ですから。

信濃_うん。

新谷_それで原田君の作品を見たら、A4サイズの作品で…十何枚か絵がありました。それをパパパっと見て「良いんじゃない」と言って「この人に見開きやらせるからね、いいね」「あぁ、結構です~」って。堀内さんは編集長みたいなものですからね(笑)

信濃_ふふ(笑)
新谷_「新ちゃんそれレイアウトして」とか言ってさ。「わかりました!」って。僕の第1作目ですよ、アレ【6】
信濃_あぁ!そうなんですね?
新谷_僕の第1作目は原田君だったんですよ。ふたりともデビューなんだから。
信濃_そうですよね?

新谷_雑誌のデビュー。それまではPR誌とか、いっぱい作っていましたよ。作っていましたけど…店で売る雑誌を作った、初めて自分でレイアウトしたページがあのページ【6】で、あそこに展示してあります。

信濃_そうですよね!

【6】治さんがニューヨーク滞在中に描いたイラストが、『an・an』のアートディレクターをしていた堀内誠一さんの目に留まり、第4号にイラスト掲載が決定。そしてこのページをレイアウトしたのは、堀内誠一さんの下で働いていた新谷さん。…おふたりの記念すべきデビュー作なのです!

信濃_凄いですね。今回の展示で驚きましたけど、旅のスケッチ【7】なんていう、スケッチブックにも…几帳面に…一見開きしか見れませんでしたけど…。裏に薄っすらと、すごく細やかで丁寧に描かれていて、ただのメモっていうのではなくて。そういうタッチの絵を描かれていて。きっと、ああいうものを売り込みの時に持っていらっしゃったのかな…。

新谷_いやいや、持ってこなかった。
信濃_あ、そうなんですか。
新谷_「オサムくんの意地悪シール【6】」に、あぁいう絵をプラスして。クレーの絵だったね。
信濃_クレー?
新谷_うん。あぁ、この人、クレー(パウル・クレー)が好きなんだなと思った。そういうタイプの人だど思った。
信濃_ほぉ…
新谷_凄いお洒落な、垢抜けた子だな、と思いましたよ。本人見たら亡くなる時まで変わらない、あのままだから【8】
信濃_そうですよね。
新谷_あれが22、3歳と思えばいいんですよ。
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_あのまんま。で、セーターなんかここでこうして(肩にセーターを掛ける仕草をする)。水丸はよく「アレだけはやめてくれ」って言ってましたよ(笑)
信濃_その当時から?!(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_「頼むからやめてくれ、俺はアレを見ると困るんだよ!」とか言っていましたけど(笑)死ぬまであぁでしたね。
信濃_ははは(笑)生きてらしたら、絶対に言えない話ですね(笑)
新谷_コッパン(コットンパンツ)にあのシャツでアレっていうのは一生涯変わらないですね。

【7】信濃さんが驚いたと話していた、ニューヨーク滞在中に治さんが描いたノート。多摩美術大学を卒業後、憧れの地であったアメリカへ渡った治さん。ニューヨークで恩師で画家の川端実氏の自宅裏にアパートを借り、半年間暮らしたそう。当時、グラフィックの分野は「プッシュ・ピン・スタジオ」スタイルが一世を風靡。このノートにもプッシュ・ピン風のカットが全ページに渡って描かれている。

信濃_いつもにこやかに笑われて。
新谷_絶対に早口では喋らないでしょ?
信濃_そうですね。
新谷_ゆったりと。怖いこともゆったりと言うからね。
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)

信濃_よく授業が終わった後に、片付けが終わって帰ろうかなと思ったら「信濃くん、お茶淹れるけど飲むかい?」ておっしゃって。自分が家でお茶淹れている感覚だと思って待っていたら、全然お茶が出てこなくて(笑)

会場_ふふ(笑)

信濃_お湯をいれてから随分時間がかかるんですよね。その間にいろんな話を聞かせていただいて、その話が面白いので楽しいんですけど、忘れたころにお茶が出てきて(笑)

新谷_ははは(笑)
会場_ははは(笑)

信濃_ぬるいんですけどめちゃめちゃ美味しくて。
新谷_あれじゃなきゃ駄目なんですよね、温度がね。
信濃_お茶ってこうやって飲むものなんだって思って。

新谷_それをちゃんとやる人なのよ。「銀座でちょっと会いましょう」となって、松屋に行くんですよ。松屋の地下にね、小さな日本茶飲ませる店があるんですよ。

信濃_茶葉を売っていて、そこで飲ませてくれるんですよね。
新谷_そうそう。そこに何度も連れて行かれた。俺に教えようととしているのかな?(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_俺は番茶のひとだから(笑)茶葉をヤカンにバンっと打ち込んで、グーっとやる人間だから(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_田舎っぺだからね(笑)「そういうの良くない」って怒っていて。そういうものをちゃんと守って、やっているんですよね。


信濃_授業が終わった先生に、ビールを注ぐ時でも、まず注ぎ方の練習からさせられましたね。させられた…というと言葉が強いですけど…「3度に分けて、もっとゆっくり注ぎなさい」と言われて。そうすると綺麗な泡が出て…。あれだけは今も家でしています。

新谷_乱暴なところが全然ない人だよ。もう気遣いの人だし。俺が“乱暴の乱”だから(笑)
信濃_ふふふ(笑)

新谷_拭くのもゆったりと拭くんだよね、机をきれーいに拭くタイプ。俺はババババビュ-ン!っていうタイプ(笑)そういうのがない人だった。

会場_ふふふ(笑)
信濃_(笑)でもそこが合ったんじゃないですか。新谷先生と原田先生の気が…全然ちがうので。
新谷_そういうところはあんまり気にしない…?まぁ呆れていた、諦めてたね(笑)しょうがないって。
信濃_一緒にお仕事される時は、新谷先生が「これは原田君、違うよ」とか、そういうことはあったんですか?

新谷_もちろん。それは、仕事ですからね。そんな甘いこと言ってられないから。原稿書いたりする場合でもね。こんなの書かねぇとか、いろんなこと言ってました。

信濃_あ、そうでしたか!

新谷_『ぼくの美術帖』の、あそこに展示してありますけど…。その帯。一回目の、青い表紙のやつね【9】。あれの帯の推薦文を僕が書いたんですよ。

信濃_あ、そうでしたね?
新谷_今見るとね、酷いのよ…褒めているんだか、けなしているんだか、分からないっていう(笑)
信濃_ふふふ(笑)
会場_ふふふ(笑)
新谷_あの時、僕、山本夏彦がすっかり気に入っちゃって…。山本夏彦の真似していたの(笑)
信濃_ははは(笑)テンション的に…厳しくなっちゃいますね(笑)
新谷_あぁいう言い切り方して。ちょっと古めのね(笑)

【9】帯にはこう書いてありました。「原田治は作文の素人である。どの付く素人である。作画は玄人を自称して久しいが、なに素人に毛が生えた程に過ぎぬ。要するに毛の差だ。それなら作文にだって毛が生えぬかと厚顔にも賢明なる諸兄姉に問うた心算がこの一本と成った。お応を待望す。新谷」

信濃_何と書いてありましたっけ?
新谷_忘れちゃった。スミマセン!
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_素人だと、こいつは。文章なんか書ける訳ねぇ、みたいな。だから「申し訳ない」みたいなこと言って、全然褒めてない訳(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_でも読んでみたら全然そんなことないんだよ(笑)
信濃_皆さん、読んでらっしゃる方も多いかと思いますけど、36歳でこれを書いていたのかっていう…
新谷_仕事全部、断ってさ。絞って、もうあれに集中して取り掛かった訳です。
信濃_へえぇ…
会場_ほぉ…

新谷_凄かったですよ、身辺整理して。前走のように、机も綺麗にして(笑)で、原稿用紙ね、コクヨの原稿用紙。消しゴムじゃないんですよ、あの人。練りゴムなんですよ。

信濃_あ、そうなんですか?
新谷_練ゴムと鉛筆をこう、2Bだか3Bだかを机にこうやって並べて。書いては(練ゴムで)キュキュキュってやって。で、僕は邪魔をしに行ってさ。
信濃_ははは(笑)

新谷_「いい加減、飲みませんか」なんて(笑)ほんとそれにかかりっきり。それで飲みに行くと、今書いていることの説明とかしてくれるのよ。「兜って知っている?」って言うから「知らない」って。

信濃_変わり兜の?

新谷_そう。「見ますか?」って言うから「見せて!見せて!」って。それで写真集を見せてくれて、日本に何故こういう兜があるのか、これは何なんだ、とか説明してくれて。「そういうことを今書いているんですよ。」って。
で、読んだら面白いこと書いてあるでしょ?

信濃_いやぁ、本当に。
新谷_イラストレーターであんなもの書いている人、一人もいないでしょ?
信濃_ははは(笑)僕、変わり兜というもの自体を知識として知らなくて。

新谷_俺も知らなかった。彼から教えてもらったこと山ほどあるんですよ。歌舞伎も全部、彼が教えてくれたし。一緒に行ったし。それから松竹の仕事もしましたけど、それは彼と一緒に。次期社長になる、専務の頃の、なんとかさんって人に呼ばれて…。金田中ですか?

信濃_あぁ、超高級料亭の…

新谷_あそこに来いって言うんですよ。「おい、なんか、えらいことになっちゃったぞ」って。「なんか、来いって言ってるぞ」「行きましょうよ」って、行ったんだよ。廊下なんてツルツル滑っちゃって恐いのよ(笑)

信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_女中さんも会ったことのないような女の人でさぁ、にこにこ笑ってるの(笑)
信濃_はは(笑)
会場_ふふ(笑)
新谷_俺は『an・an』やってたんだけどね。その作業中の格好のままじゃない?汚い格好してさぁ…それで入って行ったの。
信濃_ははは(笑)

新谷_「どうぞ、入ってください」って言われて…専務って、後年社長になった人ね。「歌舞伎もね…君ら、若い人でね…色々宣伝なんかしてくれ。ついてはひとつ、よろしく頼む」とか言っているんですよ。

信濃_へぇぇ!
新谷_「分かりました」って、何やっていいか分からないんだけど(笑)。
信濃_ははは(笑)
新谷_それで、とりあえずポスターをやりなさいって言われて。中吊りとかね。原田くんは仕事ないのよ、とりあえずは。
信濃_はい。
新谷_彼から聞いた話では…実現したら良かったなと思うのは…劇場の前にある看板。絵看板ってあるでしょ?
信濃_あ、はい。
新谷_あれを原田くんが担当する、というね。
信濃_ほぉ~!!
新谷_話があったらしいの、一瞬。これは良いなと思ったんだんよね。彼の絵で歌舞伎のあれやったら、最高に良いだろうなって。
信濃_そうですね!
新谷_人気出るだろうなと。歌舞伎に詳しいしね。
信濃_そうですね。

新谷_子どもの時に、お母さんが歌舞伎観に連れて行くでしょ?お父さんは新橋演舞場でしょ?ものすごく詳しい訳よ。
半ズボンでランニングの子どもの時に、一緒に連れて行ってもらっているんだからさぁ。築地ですからね、何ていったって。そこで生まれて育っている訳だから。
それで、その話があって、僕はもう夢見るように素晴らしいと喜んだ訳よ。ところがなんか、江戸っ子で、三代続いた人じゃないと駄目なんだって。

信濃_そんなルールがあるんですか?

新谷_ルールだかは知りませんけど。そう、なっちゃったんだよ。今の人は知りませんけど…芸大か何かにおられた方らしくて。日本画の伝統を引き継いでいるという…その方がやることになって。今は変わったかも知れない。その方がやることになって。僕は全然いいと思いません、はっきり言って。「何じゃあれ!?」って思っている訳!

信濃_ははは(笑)原田先生は描きたかったんですかね?

新谷_描けるかどうかは別にして…それは、仕事となればやったでしょうね。彼はとにかく、自分の本の中でも書いていましたけど…何種類もの技法を使う【10】ということを考えた訳です。

信濃_5年間で10種類と本にも書かれていました。
新谷_デザイナーなんですよ基本的に。
信濃_あぁ。

新谷_デザイナーだから、注文がないと発生しない仕事なんですよ。絵描きっていうのは、「気分が盛り上がったぞ!」って、夜中に描いてもいいし…売れようが売れまいが知ったことかと、好きに描けばいいんだけど。
デザイナーはそうではないじゃない?誰々のために、何月何日まで、この大きさで…

信濃_そうですね。

新谷_注文が来て初めて「じゃあこれをやろう」となる訳ですから。その時に「じゃあこの技法でやろうかな」とか「これはこっちの方があっているかな」と、広い窓口というか、門口というか…広い商店にしておかないと。

信濃_あぁ。
新谷_「“金の子たわし”しか売っていません」って、それでは困る訳よね。
信濃_うん。

新谷_「うちは金の子たわし専門店です。ほうきは隣で買ってください」って、それじゃぁさ…食えないから(笑)
金の子たわしもあれば、ちりとりもあるし…変な例だけど…ほうきも売っているし、手ぬぐいも売っているみたいな。

信濃_ふふふ(笑)
新谷_そうしなければ商売成り立たないと考えて、それを実行した人です。
信濃_あぁ。

 

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