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OSAMUGOODS NEWS

2018-05-01 『原田治さんとグルーヴィジョンズ 伊藤弘さんによるトークショー』Vol.04。今回はOSAMU GOODS売り場の話から、治さんが子どもだった頃の東京の話へ。そして可笑しく進化していったファッション、日本式"IVY"についても。

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トークショー出演者プロフィール紹介。
原田治さん【画像右】…ご存知、OSAMU GOODSの生みの親、原田治先生。
伊藤弘さん【画像左】…原田先治生が一番好きなアートディレクター。『groovisions』代表。グラフィックやムービー制作を中心に、音楽、出版、プロダクト、インテリア、ファッション、ウェブなど多様な領域で活動。100%ChocolateCafe.をはじめとする様々なブランドのVI、CI、『ノースフェイス展』など展覧会でのアートディレクション、MUJI TO GOキャンペーンのアートディレクション&デザイン制作など。
司会・進行役は弥生美術館学芸員の内田静枝さん。

伊藤_なんか、その…売り場みたいなものってもう、あったんですか?逆に。
原田_売り場はね、いっぱいできちゃったんですね…その、ファンシーグッズ屋さんっていうのが。
伊藤_あー。
原田_元は文房具屋さんか、化粧品か…
伊藤_化粧品屋さん。
原田_それから、雑貨屋さんっていう名前がなかったですけど…
伊藤_なかったですね。
原田_後、何んだっけな…化粧品屋さんと文房具屋さん…が多かったかな?それがみんな雑貨を扱う様になって。
伊藤_なるほど。
原田_それで、ファンシーグッズとか呼ばれて、専門店みたいな…
伊藤_あー。
原田_さっきサイン会の時に、あの…キディランドでOSAMU GOODS売ってくださって方がいたんですけども…キディランドが一番最初だと思う、原宿の。
伊藤_うん。
原田_その頃はただのおもちゃ屋さんでしたから。
伊藤_うん。
原田_そうそう、おもちゃ屋さんがファンシーグッズをやるようになったの、最初の頃ですね。40年前。
伊藤_うん。
原田_キディランドっていうと子どものおもちゃしか売ってない所だったんですけど…
伊藤_最初は、ですね。
原田_そこに10代の女のコ向けのを置いたんですね。
伊藤_なるほど。
原田_まだ竹下通りも出来てない頃…だったと思います。
伊藤_おー。
原田_それで原宿にだんだん若いコが集まり出した頃だったんですね。
伊藤_なるほどなるほど。
原田_昔の原宿は誰も人なんか歩いてない所だったんですよ?
伊藤_おー。
会場_へー。
原田_僕の10代の頃なんかは。
伊藤_おー。
原田_散歩しても人も誰も歩いてない。表参道も。
会場_へー。
原田_お店もない。
伊藤_ふーん。
会場_ふーん。
原田_ふふふ(笑)

伊藤_そういう…昔の東京の話を原田さんに聞くのが、僕、大好きなんですけど(笑)
原田_あ、そうですか(笑)このグッズをやる時にその…アメリカンファーマシーの話は前、したかもしれないけれど…。もうひとつ、青山に『紀ノ国屋』ってね、スーパーマーケットがあったんですけれど。僕は青山の『紀ノ国屋』のスーパーの…先にある川端実って画家のアトリエに…
伊藤_はいはいはい。
原田_小学1年の時から油絵を習いに行ってたんですね。
伊藤_あ、川端さんってあの辺にアトリエがあったんですか?
原田_青葉町って、国連ビルとかっていうのが今出来てて、あの裏の方の…
伊藤_なるほど。
原田_閑静な住宅地だったんですけども、青山らしくて。お隣が三井家の人の…娘さんの家だったかな?
伊藤_ふーん。
原田_青山通りもまだ狭いんですよ?オリンピックで広げたんですけど。
会場_ふーん。
原田_狭い都電が通ってる道だったんですけど、そこの所から青葉町の通りに入っていくと、本当、山の手の景色がちゃんと見えてきて。
伊藤_うんうんうん。
原田_そのー、先生の所はアトリエだから木造だけど、モダンな感じですね。
伊藤_うんうんうん。
原田_吹き抜けみたいになってて、天井も。
伊藤_うんうんうん。
原田_そのお隣の三井家の家っていうのは、本当、アメリカのね、田舎にあるようなサバーバン(Suburban)の家なんですね。芝生の庭で、塀が…こう…短い木を白くペンキ塗りしたヤツ…絵にも描きましたけど。ああいう冊があって…お花がこう…植わってるの。芝生の向こうも平屋だったと思うんですけども、白いペンキ塗りの家で、ピアノの音が聞こえてくるわけ。
伊藤_へー。
原田_そういう山の手の、感じがしたんです。
伊藤_ふーん。
原田_外国の感じがしたんですね。
伊藤_ふーん。
会場_ふーん。
原田_僕ん所は築地ですから、築地の場外市場ですから、今もすごい所(笑)
会場_(笑)
原田_昔もとんでもない所なんですけどね(笑)そっから通ってるから、ちょっと外国へ行くような感じで。
伊藤_うんうんうん。
原田_毎週土曜日に、小学校の時から。そいでそこの…先生の所へ入ると、あの…曲がり角が『紀ノ国屋』だったんですね。その頃は…僕が子どもの頃は、外国人専門のスーパーだったんですよ。
伊藤_あ、『紀ノ国屋』がですか?
原田_はい。
伊藤_ほー。
原田_元々は…終戦後はね…紀ノ国屋のオヤジさんっていうのは…その川端先生の奥さんから聞いた話だと、ふんどし一丁で天秤担いで野菜を売りに来てた人だったんです。
伊藤_へー。
会場_へー。
原田_それが…占領時代でしたけど、アメリカの人がいっぱいいる時に、あそこに八百屋だか何だか作り出して。で、どんどんどんどん手広くスーパーになっていって。外国人専用のスーパーだったんです。
伊藤_ふーん。
会場_ふーん。
原田_看板…窓にも値段は全部ドルで書いてあったんじゃないかな。スクリプトの書体で…みんなこう…アメリカのよくあるスーパーの。
伊藤_はいはいはい。
原田_それで『紀ノ国屋』の中入ると、輸入品がほとんど。
伊藤_ふーん。
原田_子どもの頃には入れなかったけれども…
伊藤_うん。
原田_10代の頃、その『紀ノ国屋』へ行くとまるで、アメリカ、なんですね。
伊藤_ふーん。
原田_家はあの…輸入食料品をやってたから、缶詰とか瓶詰めはだいたい家で売ってたんだけども…
伊藤_うんうん。
原田_店の佇まいが全然違うんですね。
伊藤_なるほどなるほど。
原田_アメリカ的な。看板も全部英語で。そこがまたひとつ…憧れの土台になってますね。
伊藤_なるほど。
原田_で、『紀ノ国屋』の紙袋。横にこういう風に…
伊藤_あー、はいはいはい。
原田_今のと違うんですけど…、あのロゴは山名文夫ですよね。デザインがね。
伊藤_あ、そうなんですか?
原田_そういう紙袋、ハトロン紙にグリーンでロゴが入ってる…それが好きで(笑)あの…高校行く時もいつもそれに物入れてって。ちょっと不良の高校生でした。
伊藤_ふふふ(笑)
会場_(笑)

原田_僕がちょうど10代の頃っていうのは、中学から高校にかけては"IVY"っていうのが流行ったんです。男のコのね。
伊藤_はいはいはい。
原田_『VAN』っていう会社がね、作ってた。
伊藤_"みゆき族"ってやつですね。
原田_"みゆき族"です。で、"みゆき族"っていうのはみんな『VAN』の紙袋、黒と赤の『VAN』ってロゴが入ったやつ。それをこう、小脇に抱えて歩くのが流行ったんですけども…僕はそれ、ちょっとダサイなと思って―
伊藤_『紀ノ国屋』?
原田_『紀ノ国屋』にしたんです。
伊藤_なるほど!
会場_(笑)
伊藤_(笑)
原田_紙袋のやつ、すごい流行ったんですよ、あの頃(笑)
伊藤_どの紙袋を持つかで…
原田_"みゆき族"と言えば"紙袋"になってて、で、エスカレートして。女のコの"みゆき族"っていうのはロングスカートなんですよね。
伊藤_ほー
原田_だいたい花柄で。
伊藤_へー
原田_髪もちょっとパーマをかけて膨らまして。
伊藤_ほー
原田_それで皆んな、紙袋を持つんですけど。女のコのはエスカレートして、紙袋がどんどん大きくなってって。ハトロン紙の茶色の紙袋が流行ったんですけども……米袋を…
伊藤_ははは(笑)
会場_(爆笑)
原田_一番エスカレートしたのは米袋。
伊藤_ははは(笑)
会場_(爆笑)
原田_こんなでっかいのを持ってる(笑)(と、脇で米袋を抱えるしぐさをする)
伊藤_それは結構…ある意味、お洒落かもしれないですね(笑)
原田_あんまりアメリカンな感じはしなかったですね(笑)
伊藤_(笑)
会場_(爆笑)
原田_なんか日本的だなぁと思って(笑)
伊藤_面白いですね。
原田_"みゆき族"って言うのは、銀座のみゆき通りの所を流して歩く人のこと、なんですね。
伊藤_そこが…あれですね、皆んなの社交場だった訳ですね?社交場というか…
原田_"盛り場"だね。
伊藤_"盛り場"。着飾って歩く―
原田_ナンパ…する通り、ナンパ通り。
伊藤_なるほどなるほど。じゃあ東京中から集まって来たわけですね。
原田_そうですね。近県から皆んな集まって。米袋はたぶん埼玉辺りかな(笑)
伊藤_ふふふ(笑)
会場_(爆笑)
原田_そういう時代なんですよ。
伊藤_なるほど。
原田_そういう…どこか、皆んなアメリカっぽいものに、憧れたんですね。"IVY"はもう、まさにそうですからね。
伊藤_そうですね。
原田_"IVY"って言っても、日本式にこう…変化していくんですね。
伊藤_なるほどなるほど。
原田_情報が少ないですから。どっか日本的になっていくんですよね。
伊藤_格好や"米袋"しかり、ですね。
原田_男はねぇ、やっぱりケネディが一番、格好いいって言ってて。みんなケネディみたいに横分け、するんですよね。
伊藤_おー。
原田_横分けすると真ん中の筋目がかなり横になるんですよ。
会場_あー。
伊藤_あ、なるほど。七三ではないんですね?八二…?
原田_八二くらいですね(笑)
会場_(笑)
原田_で、膨らましてこう…(と、前髪部分を膨らませるしぐさをする)
伊藤_ふーん。
会場_ふーん。
原田_それで『VAN』のバンジャケットとボタンダウン…
伊藤_ボタンダウン。
原田_お尻にビジョーってのが付いた…
伊藤_パンツですね。それでこう、裾をちょっと折り返して…
原田_折らないでね、
伊藤_あ、折らないんですか?
原田_裾を、ですね…白いソックスにコインローファーなんですよ。ま、チノパンみたいなヤツですね、白いヤツ。
伊藤_はいはいはい。
原田_ジーパンはまだ流行ってない。その時は。
伊藤_なるほど。
原田_ジーパンを履く人はまだいなかったんですね。ズボンの裾をだんだんだんだん短く上げていって…
伊藤_うん。
原田_高校の制服も…あの…僕、青山学院の高等部ってとこに行ってたんですけども。
伊藤_はいはい。
原田_みんな男でもちょっと粋がってるのはみんな"IVY"になっていくんですね。で、競争みたいになって。
伊藤_うんうんうん。
原田_もうひとつ特徴はね、晴れの日でもこうもり傘を持ってる…
伊藤_おー。
会場_おー(笑)
原田_ステッキみたいにして。だんだん、ヘンにエスカレートしていくんですね(笑)
会場_(笑)
伊藤_ふふ(笑)ちょっと、だんだん、可笑しくなってくる(笑)
原田_可笑しくなってくる(笑)何故か、高校生なのにアタッシュケースを持って来る人がいて…
会場_(爆笑)
伊藤_あはは(笑)
原田_通常の白いソックスっていうのは線が入っているヤツでね。赤と紺の。木綿の。…それを見せたいんだかなんだか知らないんだけど、だんだんズボンの丈が上がってくるんですね。
伊藤_(笑)
会場_(笑)
原田_最高だったのはね、どっから見てもステテコくらいの長さなの。
伊藤_ふふふ(笑)
会場_(笑)
原田_膝したくらいの。でもそれ、"IVY"ファッションじゃなくて、学校の制服なんですよ、ソレ。
伊藤_なるほどなるほど。
会場_(笑)
原田_紺のジャージーの上下のスーツなんですよね。それでネクタイしてますから。
伊藤_あー、はいはいはい。
会場_あー。
原田_裾だけどんどん上がっていって。
伊藤_ふふふ(笑)
会場_(笑)
原田_すごいヘンな時代でしたね。
伊藤_すごい面白いですね(笑)

 

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