はい。で、原田治さんです。
『an・an』が流行っていた頃の話。『an・an』は70年代に出来てディスカバージャパンという国鉄のキャンペーンがあって、今、JRのね。その時に岡山の倉敷なんかに『an・an』とか『non・no』を片手に旅をする若い女の人が増えて、それに〝アンノン族〟っていう名前付いたのが70年代半ば位だったと思います。で、そのあとに今度はDCブランドのブームが80年代入ると出てくるんですね。メンズビギとか、ヨージとか、ギャルソンとか。日本から発信するような、輸入とか逆輸入じゃなくて、日本から世界に発信するようなものが出てくるんですけど、その情報を世の中に出していたのが『an・an』しかなかったんですよ。『an・an』以外なかったんですよ。だから男も女もみんな『an・an』読んでいたんですよ。
で、原田治さんも沢山『an・an』にたくさん描いている【1】。この時までは、いろんな画風がありましたね(会場を見回して)。
で、76年、オサムグッズができて、原田治のキャラクター化が世の中に広まるようになります。
オサムズマザーグース本を作ってからキャラクターに落とし込んでるので、この時にオサムグッズに関して思ったのが、今でもそう思うんですけど、何が新しかったかと言えば、キャラクターグッズというものがキャラクターを支えるような背景…つまりストーリーとか物語なしにいきなり世の中にポン。と出てきたと。つまり、かわいい男の子や女の子、かわいいワンちゃんや猫ちゃん、こういうものがひとつのストーリーの中の主人公がいてその中で活躍して…。
アンパンマンのこと、ちょっと思い出せばいいんですけど、まず絵本があり、それからTVのアニメーションがあって、それからキャラクターグッズとして独立するような、そういう背景がないんですよね、オサムグッズには。これつくり出した功績はものすごくでかいのではないかな。
崎陽軒の焼売に付いている醤油差し【2】も原田治さんのイラストだったりするんですね。これかわいい、誰が描いたんだろうって思っていたら、何年かしてから原田治さんだと知って驚いたんですよね。これもそうです(スライドを指差し)。カルビーのポテトチップスのキャラクター【3】も原田さんが実は描いていると。カルビーが広島から東京に出てくるきっかけになったのが、ポテトチップスじゃないかと思いますけどね。もちろんかっぱえびせんもありますけどね。ポテトチップスのイメージ広告といえば、藤谷美和子が「百円」って言っているやつありましたね笑。あれがでも、商品が出てからだからイメージ広告とは言えないのか?
『ビックリハウス』の話に戻ると、実は『ビックリハウス』の中でペーター佐藤と原田治がふたりでユニットを組んで『ペーター&オサムスタジオ』というのがまず出てくると。原田治さんのほうは個人でペンネームをどうも持っていたらしくて、それが『明石町先生』という名前で、これで随分とイラスト、『ビックリハウス』のカットなどを大量に描いていたんですね。このふたりにプラス、安西水丸さんとか、秋山育さんが加わり『パレットクラブ』というのが誕生する。
新谷雅弘さんいらっしゃいますよね。マガジンハウスの元アートディレクターですね。堀内誠一という非常に才能豊かなアートディレクターがいて、その人の仕事を授かってですね、マガジンハウスのアートディレクターとして活躍される。新谷さんもパレットクラブの一員ですが、どのタイミングでパレットクラブになったのかは、ちょっとわからないです。
僕、実は学生の時に新谷雅弘さんに絵を見せに行ったことがあって。プロのデザイナーやイラストレーターに絵を持っていったのが、後にも先にもその一回だけなんですけど。その時に『鳩よ!』が創刊した時期だったかな?アートディレクターをされていて、その『鳩よ!』に投稿していた友達がいて、その才能をすごく認められて『鳩よ!』でデビューするんだけど、その「新谷さんを知っているから都築、絵を描いているなら見せにきて」と言われて見せにいった覚えがあります笑。
その時にアドバイスとして「10年経っても同じような絵を描いていたらもう一回見せにきて」と言われたんですね。たぶん変わると思うから的なことも言われたのかな。「10年たったらもう一回見せにおいでよ」と言われたのかな。凄くそのアドバイスが嬉しくて、帰り道に友達に報告したんですよ。「『10年たったら見せに来て』って言われて、嬉しかったんだ」って。そしたら「お前それ、10年早いって言われてるんだよ」あ、そうか!(笑)って気づいたんですよね。で、その話を安西水丸さんにだいぶん経ってから言ったら「新谷は口が悪いからな」って言ってましたけど、そういう覚えがあります。
という訳で、パレットクラブはこの5人。新谷さんと秋山さんはお元気ですけど、安西さん、ペーターさん、原田さん亡くなられて、もっと活躍して欲しかったな、というふうに思っています。
もうひとつの流れで説明したかったのが湯村輝彦【4】という人なのですが、湯村輝彦さんも実は『ビックリハウス』の表紙を飾っている。いろんなイラストレーター、あるいはいろんなムーブメントの通過点としてこの『ビックリハウス』があったのかな、ということなんですよね。ここで映像をまたもう一回見てみようと思います。同じサブカルチャー誌の違うシリーズで、湯村さんを紹介されているものを見たいと思います。ヘタウマについてはいろんな分析の仕方があるんですよ。その辺は今日は時間ないんでしないですけど、ひとによってネタの解釈が違ったりするんです。
映像音声_1960年代、高度経済成長期の日本。択一化、均一化された商品が大量生産され、街に溢れた。TVや雑誌などの媒体で、ものを売るための広告が活況を見せる。そのあおりを受けて当時挿絵だった画家がイラストレーターとして注目されていった。
都築_これ真鍋博さんですね。ものすごい僕が影響をうけた人です。
映像音声_1965年、和田誠、横尾忠則らが日本発のイラストレーターの組織『東京イラストレーターズ・クラブ』を発足。これまでの画一的な広告業界に異議を唱え、作家による、個性豊かな表現をうちだす。「イラストレーション」という言葉は、瞬く間に日本中に広まっていった。そしてその翌年デビューしたのが、のちにヘタウマの創始者と言われる、テリー・ジョンソンこと湯村輝彦であった。湯村はアメリカのポップアートなどから影響を受けた作品で頭角をあらわす。しかし、1967年突如、のちのヘタウマとなるイラストを発表する。それは、とある雑誌に添えられた小さなイラストであった。タイトルは「江戸時代の銭湯」。なぜこのような画風へと変更したのか。湯村は語る。「ぼくは不器用で下手だから色塗り一つとっても枠の中に収まらずにはみ出してしまう。それがむしろ面白い、と思うようになったんだ。」
都築_今、湯村さんの絵の中で銭湯のイラスト、67年のイラストがヘタウマのきっかけという風に説明されていましたけど、僕が湯村さんに聞いた時は全然違うこと言っていたんですね(笑)。テイストオブフラミンゴっていうイラスト、それがヘタウマのきっかけとなった第一号だって言い方をしていました。とにかく湯村輝彦の登場によってイラストレーションの世界が変わるというか、一つの価値観が生まれるというか、衝撃とあと非常に革命的だったということなんです。
ただ、僕はイラストレーションのなかで非常にこのヘタウマというのが画期的だということをと言いたいんですね。さっき、広告の世界から日本のイラストがうまれたって話、してましたよね。それに関して言うと、広告はイラストレーションの主要部隊としてあったとすれば、広告の媒体でメディアでヘタウマってありえないんですよ。それが湯村輝彦によってがらっと変えられたということ、そこが非常に重要だと思っているんですよね。話長くなるのでこの辺で切りますけど。
その湯村輝彦を中心として『東京ファンキースタッフ』というグループが出来る。というよりはなんとなく形づくられるんだけれども、いろんな人が出たり入ったりするんですね。ざっと挙げるとこういう人達です。島田由美子、スージー甘金、伊藤桂司、湯村タラ、中村幸子、土屋ヒデル、マーチン萩沢、高橋キンタロー、太田螢一、飯田三代、蛭子能収、榎本敬といった漫画家、ガロ中心に出てきた漫画家やデザイナー、イラストレーターといった人達が入れ替わりたちかわり湯村輝彦のところに行ったり出たりするんですね。
更に言えば日比野克彦もそうだったりします。もっと沢山いますけど微妙に距離をたもっていた。そのリーダー格が霜田恵美子【5】っていう人で、今、ニューヨークにいるんじゃないかな。でこの人も『ビックリハウス』の表紙描いていたし、『ビックリハウス』の投稿コーナーから大きな企画になった「御教訓カレンダー」ですね。『ビックリハウス』自体はあまり読んでなかったんですけど、僕「御教訓カレンダー」は相当ハマって応募した覚えもあったんで、霜田恵美子の名前はそれと一緒に覚えました。
あと、スージー甘金さん【6】とかね、ちょっとこう…スージーさんについてもいろいろ話さないといけないんですけど、アプロークリエーション、東洋美術、美術の話をしないとその全貌が見えないんですけど、盗むっていうことね、人の作品を。盗むっていうことがひとつの美術の流れになっていくんですね。シュミレーションニズムっていうんですけど、90年前後に大きなものになり、アニメから盗んだのが村上隆。シュミレーションニストとしてアニメーションのキャラクターを盗むとかね。そういう動きが美術の大きな主体、主軸になってきたと。スージーさんもイラストの方は何故かそれやっていたんですよ。この人は、そういう意味では相当重要な人だと思います。いろんな現代美術の手法をヘタウマく、盗む手法ですね。
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2019-05-01 「PALETTECLUB特別企画 原田治のイラストレーション展」での都築潤さんによる「1970年〜1980年代のイラストレーション」Vol.1。あの時代の空気が詳細な解説で蘇ります。
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2018-12-01 服部一成さん・菊地敦己さんによるトークショーVol.3、最終回。アートディレクターから見た治さんのイラストの独自性や特徴などを中心にした興味深いお話など。
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2018-11-01 服部一成さん・菊地敦己さんによるトークショーVol.2。おふたりが選ぶ、治さんの好きな絵や、もしグッズを作るとしたら自分の名前を付けるかなど楽しいトークショーとなりました。